
【人生ノート 250ページ】利によりて集まり、利によりて散ずる現代ほどバカげておる世はない。
阿諛諂侫(あゆてんねい)の世
阿諛:顔色を見て、相手の気に入るようにふるまうこと。
諂・侫:こびへつらうこうと
普通の人が、いかに阿諛性に富んでいるかをよく見てみるがよい。多少の名の売れた人、あるいは貴顕の人とか、上長官とかに対して、一般人がその一顰一笑(いっぴんいっしょう)に、いかに阿諛の限りをつくしているかということ、および、民衆とはザッとこんなものであるということをよくよく悟るがよい。彼らには、理解も自覚もあるのではない。たんに、人がほめればほめ、人がけなせば貶(けな)すに過ぎぬ。いわんやほめへつろうて損のゆかぬ場合においておやである。
そして、まだ名の出ていぬ人々に対して、いかに彼らが軽侮をもって接しているかを、よく見るがよい。たとえ、それらの人々が実に立派な働きを示したにせよ、彼ら民衆は決して一度や二度で見向きもするものではあい。名の出た俳優のヤッチもない台詞にでも、大向は喝采を送るものだが、下役の者の真にせまった仕種には、見向きもせぬのが民衆である。
これは、人間の心理作用の微妙な点をあらわしているのであって、すでに名の出た人をほめても、決して自分の不明にはならぬが、でない人をほめることは、一面、自己のやり損ないとなりやすく、一面、一種の自尊心をきずつけると思うからである。要するに、着物によって人格をきめてしまう世の中なのである。
各自に何らかの見識も自覚もなく、利によりて集まり、利によりて散ずる現代ほどバカげておる世はない。
『信仰覚書』第五巻 阿諛諂侫(あゆてんねい)の世 出口日出麿著