ありさ
どこか彼方にあるあるを
主に小説。ときどき脚本。いつの日か短歌。
ネタバレてるときあります
おしらせ
かがみ
いかんいかん。息継ぎがまったき休日のほうになっている。 10月はまったく反対で、25本もの映画を現実問題先送り装置にしてしまった。一生懸命に取り組むだけではもうだめなんだと、それはわかった。 果たしてわたしの好む秋があったのかどうか。パワーダウンした日光なら確実にあって、けれどもアブラムシはいないでくれた。 アシッド・マナの言うとおり、見たいようにしか見られない勝手を憶えておいて、見えないものを想像する頭さえ残っていれば、もうそれ以上は手に余ってしまうのだ。当分は。
何も記さなければ、何もなかったことになってしまうのだよなぁ。記憶をたどって、何かを残しておくとするのなら。 8月は、本と映画の数をノルマみたいにして鑑賞するのをやめた。中途とくり返しを自分に許せば、それはゆるやかな夏休みになった。 9月は、仕事がちっとも無事にはならず、大体3年ぶりの風邪、ということになった。祖父がまた、誰にきかれるでもなく自分のことを幸せだと言っていた。 私の脳が怯えるための装置は多々あって、例えばそのひとつは時代劇だったのだが、この秋、三船敏郎の魅力
ドラマを観て根拠のない希望がもてるあの現象は何だろう。宝物のように大切にしていた爪先を落とさなければいけなかったことも、『ごくせん』シーズン2でヤンクミとタイマンをはる、赤西仁さん演じる矢吹隼人くんのおかげで平気だった。私はどうもその希望を作り出してみたかったらしい。図野象さんのように何度も開いて折りつづける。その1個目の鶴。 原ゆたか先生のサイン会に出かけた。むかしの子どもにも分け隔てなく接してくれ、ゆっくりと話をして、プロットまで見せてくれた。 海へ出かけた。傘を握り
おへそとられないようにね。 はい。 怒りをぶつけられるのは久しぶりだった。体が強ばり心臓が上に持ちあがる感覚は、頭がこれが初めてじゃないよ!という信号を、握りしめた手に向かって出してくれる。少し落ち着きを取り戻して、言葉のやり取りをして、受話器を元に戻した。 フォローとアドバイスをいくつか受け取って、部屋を出る。ここから練習が始まる。 ステップは踏める。もう恥ずかしくないからここにいる。いつものように遅れてくる三上さんは違う。決められていたはずの体の置き場も、視線も、時
書きたいと思えば思うほど、私にはもう小説のことがわからない。けれど佐原さんの書く小説を、この先もかならず手にとって読まなければいけないということはよくわかる。 みずみずしい。とにかくこれだ。いつまでも幼い私(たち)は、この一連の青春小説の形をしていなければ、ちりばめられる示唆をまずもう受けつけられないだろう。 この本は『重版出来!』『虎に翼』と同じゾーンに漂う一冊だ。ちょうど今仕事をしていて、そして何年も何年も仕事をしているということをまだ信じられないのだけれど、一寸先は
深夜に書かずにおれない。まずわたしは、布団を畳む動作を、自分にとって特別な段階で既視している。 無垢であることの危ういバランスが甚だしい。清掃されるトイレ同様、‘何か汚いものがうつるんじゃないか’ときれいな画面から目を離すことはできずにずっとこわいのだった。 喋りすぎると映画の価値は崩れていく。トキオとニコとモモカズの口からこぼれた説明のいくつかはまだ放り投げられる余地があるのかもしれない。トイレの向かい側で祈る誰かも、隣のベンチに座る誰かもも一言と発しない。けれどものす
ピーマンは種まで全部食べてね! 🫑 してたしてた! 雨明けのこの庭から入りこんでくる匂い、友達の家からもしてた。そしてわたしたちの間を悠然とすりぬけていく、猫。尾は全然間に合っていなかった。 希望的マンションというのがある。反対もある。ジャンクションを錆び錆びとさせたのは寧ろ未来だ。どちらでもないということはない。スーパーマーケットも、蛍光灯も同じ理屈だ。でもわたしは生活の実を知らない。 住宅街のなかでも、玄関の前が透明に囲まれたあの家たちには時間が引きのばされている。
隣も隣も耳にこない。 わたしが求め、眩しがっていたものは、いつも、どんな事がらにおいても、格好だけ、完成した一回きりの姿でありました。 このさき、近い未来に明瞭な文章を書いていくために。ひとの目つまり自分の気がかりから少しでも距離をとりたい。 このふた月あまり、何が起こっていたのだろうか。わたしは今までの、目が覚めてまた閉じるまでの連続を、自分だけ、ちょっと足りない子なんだと思うことで守ってきた。まずは隣が、つまりもっといっぱいの人々が、ルドヴィコ療法よろしく脳も体もやわ
HPが満タンじゃないところから、流れるように時間をおしすすめることも、時には必要だ。かえりに『Days』を聴くその三分間だけ、あたたかく、真剣に思いを巡らせていた。 JRに車、バスととにかく乗りものにのっていた。珍しく帰りのバスの揺れが、半分寝惚けてなぜか運転手さんがハンドルを握っていると信じられなくてこわかった。 夕焼けに衝立が流れていく。昔から、後部座席の左がわに座って、窓から景色のしゅんしゅんを眺めていた。ポケットビスケッツの署名活動をリアルタイムで観ていた記憶はな
ノミネート作すべて、無事読破📚 今年はひとりで、ジュッと短期戦でした。 それもまた良きかな。読んだ順。 『リカバリー・カバヒコ』青山美智子 唯一ノミネート発表前に図書館で見つけ、1時間半で読んだ。昨年度ノミネート作『月の立つ林で』と同じ構えをもっていた。『赤と青のエスキース』『お探し物は図書室まで』もそう、もう型が決まっている。短編で、それぞれが繋がっている。誰にでもわかる。ほろほろする。それが悪い、ということがない。安心するし他の作品にも手が伸びやすい。そして今作。不安
Oleatoが久々にヒットしている。 🌿 当然ながら晴れた天気を座って遠くから眺めているようなものではない。盛大な勘違いをしたままここまで来た。『女王の教室』に出ていた子役も同じ。ぜんぶ同じ。 甘やかしてした筋肉にほんの少しだけ冷たくしたのち、プロテインを溶かし飲むとき、いち、に、さん、し、と数を数えている。 春の『デスノート』と『リアル鬼ごっこ』はいい。ちらっと横でかけておくだけでいい。曇り空とよそよそしいビルを見ているとひと安心ができる。 手に届きそうなことを自分
気心が知れ渡りきっている人から軽やかに甘い! と言われるのは心地よい。 数え年90(歳のわりにと言われることがモチベーションになっているらしい)の祖父が自分のことを青年だと言っていた。母は東京オリンピックの体操選手から名前をつけられていた。水泳選手じゃなかった。レクサスにのって青年の一部を不気味がる叔父は刺身定食を食べさせてくれた。叔父の名は政治家から。ビールもつけてくれた。 大音量でSPECがかかっている部屋で過ごした。特段寝やすいわけではないけれど、できればふた月に一
『銃口』をひらいては、目がじんじんしている。 上着がいやで、歩いているのを建物のガラスに映してみると、吐く息が白く見えた。 咳にやりすぎな怒りがこもる。 たいていの人についている喉のつまみをしぼりたい。 私がカフェの椅子に根を生やしすぎなのかもしれない。 おそらくiPadにApple Pencilで、つるんとしたアニメーションの瞳を描いている人がいる。 腱鞘炎をまぎらわせるサポーターのような手袋をはめている。薬指と小指に炎症がいくくらい上手に描いてきたんだと斜め後ろか
ほの明るくない予感がして、うしろにまとめた髪に左手をやると、その予感は当たっていた。 買ったばかりのカンザシを失くした。潔く空に勘弁してくれと言ってコートをやめたところまではよかったのだけれど、マフラーがよくなかった。 やけに冷静だったのは、友達の前だったからではない。手紙を落としたばかりだったからだ。今回は中身がわからないままじゃない。だから全然平気だ。3600円くらい。 透明で、ゴシック調のレタリングで、ちょうど自分のイニシャルだっただけだ。 チャンスは何度だってや
ラジオを聴いて歩いている。雪道は険しく、申し訳ないと思いながら車道を歩くしかない。貼り替えなければいけないものや、尋ねなければすすまないことが目に入ってくる。今の状況を言い表すとしたら、‘漂流’が一番正しい。勿論、いつか大きな雷が落ちることをおそれながら漂い、思考はぐるぐるしているところもまさにそうだ。 顔まわりをカットするか否か。 恥ずかしさはコンタクトの度数を下げれば解決する。私も遠くの焦点を合わないようにすれば良かったんだ。視覚効果の把握が鈍い。 まるで毛布!の靴
今。 バルクアップ!プロテイン文学と言われれば読むしかない。ラベルをつけるって本当にすごいことだ。 長井短『存在よ!』 こわいきもちで〜急にこうやってぽん って入ってくる文章のファンです。 泣きそうになった幽霊の献身、応援 想いが届いてよかったね。 児玉雨子『跳べないならせめて立て』 かつてバレーボール運動をしていた自分とどこか無理矢理にでも重ねて読んでいるのだろうな。口調は憧れるものに似る。 王谷晶『蜜のながれ』 小説なんて書けるもんじゃないと強く思っていたこの