そったくどうじを合言葉に

こんにちは。あざらしです。
近頃はかなりあたたかくなりましたね!

毎日いそがしくしていたら
いつのまにか、桜の季節も終わっていました…

あ!ささやかでしたがお花見はしましたよ。
やきとり食べたかったけどガマンしました(笑)

この季節は
ベランダからのぽかぽか陽気が
私のエネルギーを補充してくれます。

空を見ているだけで頭もスーっとクリアになるから
ふしぎです。


さて、みなさんは
『啐啄同時(そったくどうじ)』
という言葉をご存じですか?

禅語の1つで、辞典には
『悟りを開こうとしている弟子に、
師匠がうまく教示を与えて悟りの境地を導くこと』
と書いてありました。

啐はひな鳥がたまごからかえるときに
内側からつつく様子。
啄は親鳥がそれを手助けするために
外側からつつく様子。

親鳥がつつくのがあまりに早いと
ひな鳥は未熟なままかえってしまい、
ひな鳥がつつく時に親鳥がつつかないと
たまごはなかなかわれない。
タイミングが大事だよ。ということだそうです。


私がこの言葉を知ったのは2~3年前。
心理の世界に飛びこんでから約1年後の
ことでした。

たまたま、好きな四字熟語の話題になり、
あまり考えたことがなかった私は
探してみて初めて
この言葉に出会いました。
(四字熟語なのかはわかりませんが(笑))

その時からこの言葉は私の『おまもり』であり、
『いましめ』でもあります。

私は仕事でも子育てでも、
人がみずから変化していくのを見るのが好きです。

(変わらないなら変わらないで、
それもその人の魅力なのですが)

たいてい、
今より良くなりたいという気持ちを
もった方と関わる機会が多いので

遅かれ早かれ、その方が変わっていく瞬間に
いさせていただけることが多いです。

でもそこには必ず過程があって、
ある日急に魔法みたいに劇的に良くなる
なんてことは
あまりないのです。

一見そう見える人もいますが、
心のなかで
自分と向き合い続けて
ある日ふと、結果がでた。
そんなパターンかと思われます。

そう。魔法ではない。
はたからは見えなくてもちゃんと
本人のなかで1つ1つ、
積み重ねていったということです。

でもその過程は、私たち支援者側からは
なにも変わってないように見えたりします。

ちゃんと考えてるのかな?
わかってるのかな?
これを今しておくべきなのに。
そっちじゃなくてこっちだよ。などなど…

こっちは経験値もある(と自負している)ので
つい、手をひいてあげたくなりますが

当の本人とタイミングが合わないと
話は聞いてくれない。
聞いてくれても腑に落ちない。

もしくは、
聞いてくれるけど人の評価に合わせて無理をして
心身の調子を崩していく。

そんなことが多発します。

昔、保健指導の勉強をしたときに
講師の方もおっしゃっていました。
『対象は、自分が重要だと思わない説明には
わからなくても『わかりました』と言うんです。』


はい。察しが良い方は
もうお気づきかと思いますが

本人が重要だと思わない段階で
いくらこちらが大切なことを詳しく説明しても
あまり効果がない…かも…
と、いうことです。
(あとから重要度があがって、本人が再度
聞きにきてくれる素敵パターンはたまにあります。)

それよりはまず、
自分が言いたいことは一旦脇において
本人の話をたくさん聞いて
想いや状況を知っていくこと。

下手したら本人も
自分の本当のニーズが
わかっていなかったり、
受け入れられないことも
あります。

それを安心できる関係の中で
無理強いせず本人のペースで
少しずつ形にしていきます。

助言はそのあとです。
これが正しい!という話ではなく
『こうするとあなたのニーズが
叶いやすいんじゃないかな?どう思う?』
というスタンスで話していきます。

わりとめんどうなことでも、
自分の目的を達成する上で重要だと
本人が納得できれば、
動いてくれることが多いです。

私が提案したことも、本人にとってちがうなら
それはきっとちがうんでしょう。
(今はちがう、のかもしれません。)

そもそも
『ちがうんだ』と自分で感じられることは
それだけでも財産ですよね。

また、その選択の結果が
思っていたものとちがった時は
それも変化していくきっかけになります。

唯一おせっかいをするとしたら
きっと、ここでしょうね。

選択をまちがったことを責めず、
ありのままの状況を受け止めること。
良い経験になったよねと、
背中をささえてあげること。

はじめから正解を選びとれるなんて
神様じゃないんだから

いいんです。遠回りしたって。

私たちが思う正解は『私にとって』正解なだけで、
あなたの正解とはちがうかもしれない。

だから、本人が自分で考えて決めて
自分から動き出すことが大切なんです。


と。頭ではわかっていても、
本当にいいのかな?つらい目に会わないかな?
私タイミング間違えてないかな?と
あせってしまうこともあるのが
人間ですよね(笑)

なかなか時間がかかることも多いし…
口をはさみたくなってウズウズ。

なので、『啐啄同時』は
そんなときの大切な『いましめ』なのです。


本人が自分の想いに気づいて視野がひろがり
行動も変わっていく。

待った分だけ、その瞬間に出会えたときの
喜びは大きいのです。
(ちょっと変態っぽい?(笑))

そんな喜びをまた本人と一緒に体験したくて
今日もコツコツゆっくり
人に寄り添っていきたいと思います。


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