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東京探索記 37 大田区穴守稲荷神社
京急線穴守稲荷駅を降りるとそこはその名前の通り、穴守稲荷の町。
改札口を出るとまるで参道かのような旗幟の列と赤い鳥居。赤い雨合羽をかぶったキツネさんもいて、これはちょっと可愛らしい。
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ところで雨が降っているからフードかぶっているのかな?
稲荷の町らしく、店舗も赤く染まっている。中華料理店といえば赤色の印象があるが、ここでは鳥居の赤にも見えてしまう。
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裏通りにまわってみると今度は朱いパイロン2個が門の両端に置かれた家。もう人は住んでいないようではあるが、塀の透かしデザインが素晴らしい。どんな人が住んでいたのだろう。
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さて、今度こそ参道を通って、穴守稲荷神社へ。
正面に拝殿、横には稲荷山という人工の塚。一見すると富士山の溶岩を積み上げた富士塚のように見えるが、よーく見るとがっちりコンクリート造りの建造物。すき間なく連なっている赤い鳥居を潜り抜けて、稲荷山を登る。
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ところで、大きな鳥居に並行するように並べられている小さな鳥居の列は何だろうか?狐の妖精が通る径だろうか。ミニチュアな小ささがかわいらしい。
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稲荷山の山道は、赤い幟が目立つ階段。まるで戦国時代の砦のようだ(笑)
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4階建てくらいの高さの印象だが、その途中から眼下にひろがる鳥居の列をみる。なかなかこういう風景は見れない。
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最上階にはいくつもの末社が並んでいたので、手を合わせてから下へと戻る。帰り道は途中で登りの道をはずれ、洞窟のような場所へ。きれいに建てられたビルの一部屋なのでそれほど感じなかったが、これがほんとうに洞窟のなかであれば、ちょっとゾクリとしそうな光景。でもいやではない(^^♪
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わずかな時間ではあったが、非日常を感じる場所を辿ることができた。
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さて、この穴守稲荷神社は昔からここに建っていたわけではなく、戦後にここへ移ってきた、いや移された。
終戦後、占領軍(GHQ)が羽田飛行場の滑走路拡張のために当時滑走路脇に建っていた神社とそこに住む住民、氏子に対して48時間以内の退去を命じた。いま考えると理不尽でそのようなことは認めれないが、敗戦国の悲哀、戦争の勝者であるGHQの命令は絶対、GHQから見たら敗戦国の住民も施設もただの邪魔者にしか見えなかったのだろう。
ところが、一の大鳥居だけはこれを解体や動かそうとするたびに原因不明の不可思議な事故が起きる。祟りかも…その不気味さに恐れをなしたGHQは結局、大鳥居の移転は断念せざるをえなかった。はっきりした根拠のある話ではないので都市伝説ではあるのだが、ともかく大鳥居は移転を免れたのは事実。
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この大鳥居のそばで海老取川が多摩川へ合流するところに五十間鼻無縁仏堂がある。昭和53年(1978年)に現在地に移転してきたが、ここに祀られているのは多摩川での水難事故で漂着してきた犠牲者、太平洋戦争での東京大空襲、関東大震災での被害者はもとより時代をさかのぼれば江戸時代からの水難事故者も含まれているということだ。それだけ歴史のある無縁仏堂は多摩川の真ん中に突き出る、それこそ鼻のような形で建っている。みると階段で川面まで下りられるようになっており、数人の釣り人が膝まで水に浸かって釣りをしていた。
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なにが釣れるのだろうか、いまでは流れ着いた土座衛門がかかることはないだろうが、川面にまで下りるのは勇気がいるな、と感じた。
さてこの辺りはもう羽田空港エリア。足元を見ると、珍しいマンホール。旧運輸省航空局のマークのマンホール。飛行機のシルエットを真ん中に航✈️局。素敵なデザイン!
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最後に再び穴守稲荷神社。
少し羽田空港から離れてしまっているが、穴守稲荷には今も航空稲荷が末社として祀られ、空の安全を祈っているのだった。
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