残忍人蒸しパン
忍人と呼ばれた戦国大名がいます。どういう意味かというと、残酷なことを平気で行う人のこと。
誰のことかというと、武田信玄。
地元の山梨では現在では神として崇められている武田信玄公。以前、信玄にまつわる話を書きました。↓
今回は彼の負の部分について妄想しながら料理します。
人参 半分
米粉 100グラム
卵 2個
ベーキングパウダー 大匙 1
オリーブオイル 大匙 1
蜂蜜 大匙 3
ピザ用チーズ 大匙 2
塩 小匙 1/4
社会全体が殺伐としていたであろう戦国時代。そこで生き抜いて、更に勢力を拡大していくためとはいえ、忍人と呼ばれるに相応しい様々な逸話が武田信玄にはあります。
まず信玄は隣国、信濃に侵攻していきましたが、佐久地方の志賀城を攻めた時、虐殺を行いました。取った首級をずらりと城の周囲に並べて見せしめ。女や子供は本国の甲斐へと連行、奴隷として売り飛ばしました。
名のある武将の妻妾であろうともお構いなし。奴隷として売られた者達はどうなったかですが、甲斐には金山が豊富にありました。恐らくはそうした鉱山で死ぬまでこき使われた?
妹婿であった諏訪頼重を謀殺。更に頼重の妹を側室にしました。後に生まれたのが諏訪四郎勝頼。つまり武田勝頼。
このようにしてかなり酷い手口を用いて佐久、諏訪へと信濃攻略を進めていく。
関東、東海、そして甲信の大名達、北条家、今川家、武田家は三国同盟を結んでいました。北条氏康、今川義元、武田信玄という当時の当主達が一同に会して盟約を結んだと言われ、善徳寺の会盟と呼ばれます。
不可侵条約みたいなもので、お互いに不戦を誓い、それぞれの領国経営に専念し、領土拡大を狙う場合は、他の二国以外へという約束。更にそれぞれが婚姻関係を結んで親戚になることで、同盟の証しとしました。
その同盟、思わぬ所から綻び。
桶狭間の戦いで今川義元が討ち死に。跡を継いだ氏真は父程の器量がなく、なかなか織田信長に報復戦を挑もうとはしない。どうやら弱い奴だと見て取ると、信玄は呵責に牙を剥く。今川家攻撃へと舵を切ります。
それに待ったをかけたのは、長男の義信。何故なら義信の正室は今川家の娘。妻の実家を攻撃することは出来ないという、ごく当然の反応。
信玄は義信を幽閉、最終的には自害に追い込む。息子であろうと領土拡大の邪魔はさせないということ。
そこまでして今川家の領土、駿河へと侵攻。同じく今川領であった遠江は徳川家康に譲るという約束でしたが、信玄は隙あらば遠江も奪うべく虎視眈々。
本国である甲斐では治水工事や金山開発で領民に恩恵を施していた信玄ですが、侵略すると決めた他国には容赦ない。
そうして領土拡大に邁進していた信玄でしたが、上洛作戦の途上で死去。死に臨んで、武田家が危うくなったら上杉謙信を頼れと遺言。
謙信は頼まれると嫌とは言わない信義ある人物だと言い残したとか。
力の信奉者と言えそうな程、約束や同盟を平気で踏み躙ってきた忍人、信玄が最終的には信義に頼れと遺言したのも皮肉。
ずらりと並んだ蒸しパン。志賀城の周囲に並べられた首を連想?そんなことを考えると食欲なくなりますね。
誤解して欲しくないのですが、私は別に武田信玄を非難する目的でこの文章を書いている訳ではありません。
残酷な話ならば、信玄が頼れと言った上杉謙信にもあります。たとえば、度重なった関東遠征では、謙信は部下達に略奪や暴行を許していました。彼の戦は領土拡大のためではなかったので、部下達への恩賞という意味があった?人参をぶら下げないと、なかなか人は動きませんから。
親殺しとか子殺しという話も戦国時代にはいくらでも転がっています。あくまでも戦国時代の殺伐とした話の代表として信玄の事例を紹介しているだけです。ただ、世界に目を向ければ、もっと恐ろしく残忍な話は幾らでもあり、それに比べればまだ日本の残酷話は甘い方。
社会全体が殺伐としていると、残酷なことへの配慮が麻痺してくる?もうそんな時代にならないように願いたい。というよりも、日本だけではなく世界全体が平和であるように、自分が出来ることを探したいものです。
それにしても、小麦粉を使用していないグルテンフリー蒸しパンの美味さよ。
砂糖を使わず、蜂蜜も最小限にしたことで人参の自然な甘さが際立つ。チーズの微かな塩味もよいアクセント。
人参のベータカロチンやビタミンCばかりではなく、チーズと卵からタンパク質、米粉から炭水化物。もはや菓子としてではなく主食になるかも?
自分で作った料理を堪能出来る平和のありがたさを噛み締め、世界からも残酷や残忍ということがなくなるように祈りつつ、残忍人蒸しパンをご馳走様でした。