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東條英機ムチ炒飯
おから以蔵に続き、おから料理シリーズ。
おからでかさ増しした炒飯。
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葱 1本
卵 2個
干し海老 好きなだけ
自家製キムチ 好きなだけ
塩 小匙1
胡椒 適量
冷や飯 1・5椀分
胡麻油 適量
おから 1椀分
醤油 小匙1
キムチ、キで終わる名前ということで、東條英機を妄想しながら料理開始。
大東亜戦争開戦時の首相ということで、よくないイメージを多くの日本人は植え付けられているのではないかと思います。
明治十七年(1884)東京に生まれた東條英機。カミソリなどという綽名がありますが、実際の人生を見ていると、切れ者という印象は薄く、泥臭い努力で上がって来た人のように思われます。
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東條家は江戸時代に盛岡藩に能楽師として仕えた家系。つまり維新の負け組である東北。それでも父の英教は陸軍中尉となり、最終的には中将。司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」で有名な秋山好古の同期で、陸大を主席で卒業したものの、出世が贈れたのはやはり出身のせい?陸軍は長州閥ですから。
家を継ぐ者として育てられた英機は父と同じく陸軍へ。士官学校を360人中10番目の成績で卒業。29歳の時に三度目の受験で陸大に合格。ということで、そんなに切れ味ある人とも言えない?努力の人というべきか。
それを象徴するかのように座右の銘は
「努力即権威」
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連隊長だった頃、所属している兵の顔と名前、家庭環境まですべて記憶していたと言います。記憶力もさることながら、気配りの人でもあった。やはりカミソリのイメージからは遠い。
昭和十年(1935)に満州の関東軍憲兵隊司令官に就任。共産主義者、そして天皇親政を望む皇道派の青年将校の取り締まりで実績。
満州滞在時代に印象的な逸話。オトポール事件。
昭和十三年(1938)、ドイツから迫害を逃れてきたユダヤ人の一団がソ連と満州の国境、オトポールにやって来る。
樋口季一郎少将がユダヤ人達に衣服や食料を提供して、上海のアメリカ租界まで送り届けるように手配。
日本とドイツは同盟国。当然、ドイツからは猛抗議。
その交渉に当たり、東條は人道上の配慮で行ったこととして、樋口もユダヤ人も守りました。
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帰国後、陸軍大臣になった東條は近衛文麿首相と対立。
国際世論に押される形で、近衛は中国からの撤兵を望んだが、東條はそれを望まず。
近衛が辞任後、次の首相に任命されたのが東条。
昭和天皇が戦争を望まれていないと悟ると、東條はそれまでの強硬姿勢を改め、中国からの撤兵を視野に入れ始めます。
「我々は人格だが、お上は神格」と言っていたように、尊皇精神が強い東條ならでは。
段階的な撤兵を条件にアメリカと交渉。しかし、アメリカは強硬に中国からの即時撤兵を求める。自分の国でもないくせに、よその戦争にあれこれと介入する。あの国がやることは昔も今も変わりません。
結局、交渉は折り合わず、対米戦争に引きずり込まれました。
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負け戦となったことは周知の通り。
東條英機には戦犯容疑。しかし米軍が逮捕に来た時に拳銃で胸を撃ち、自殺を図る。
「生きて虜囚の辱めを受けるなかれ」という戦陣訓がありまずが、大将自らがそれを実践。
残念ながらというべきか、米軍はこの事態を予想済み。すぐに手当てが施され、弾も急所を外れていたので東條は助かりました。何が何でも裁判の法廷に立たせてやるというアメリカの執念?
こうして始まった東京裁判という茶番。
そもそも人道や平和に対する罪などという、それまでなかった罪状をでっち上げて行った、事後法による無茶な裁判。
それでも、東條は日本が行った戦争は自衛戦争であり、天皇の戦争責任も一切、認めず。開戦のすべての罪を被るかのよう。
戦犯容疑を掛けられた者の中には、助かりたいがために偽証したり、取引した人もいたようですが、東條は堂々と言うべきことを主張。
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大盛1人前位だったご飯が、おから増量で3から4人前位にまで増量。
家族で食べられるだけではなく、炭水化物が減り、タンパク質も増え、カロリーも減少。具はキムチと葱ですが、十分なご馳走感。干し海老からもいい出汁。
最初から有罪ありきで進んでいた東京裁判。東條を始め7人が絞首刑を宣告されました。
刑が執行されたのは12月23日。当時、皇太子だった現在の上皇陛下の誕生日。嫌味なことをする。
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ほぼ同じ材料で作った炒飯と遜色ない出来栄え。比較のために画像を出しました。
東京裁判で起訴されながらも、後ろから東條の頭を叩くという奇行をして、精神に異常があるとして免訴になった思想家の大川周明は東條英機をこう評しました。
「下駄に履くにはいいが、頭に乗せる者ではない」
便利な履物のようであっても、頭領とは見なせないという意味か。
前述したオトポール事件の樋口季一郎は
「東條は頑固者だが、筋を通せば話は分かる」と評価。
A級戦犯などというレッテルを貼られ、一時期はヒトラーのような独裁者と思われたこともある東條英機ですが、自分が為すべきことを為し、信念は曲げなかった人物と思えます。ただ、人間は多面体ですから、評価は複雑。
豆腐を作った後の廃棄物であるおからを再利用した料理、質素を旨としていた東條英機閣下にもお気に召して頂けるだろうか。
そんなことを思いながら、東條英機ムチ炒飯をご馳走様でした。