見出し画像

伊藤野枝豆し

出来るだけ旬の素材を使って料理することを心掛けています。
しかし、感銘を受けた映画のことを書きたくなり、それを料理しながら妄想するためにわざわざ冷凍の食材を買ってきた。


材料

枝豆(冷凍) 好きなだけ
人参     1/3
油揚げ    1枚
出汁醤油   大匙1
マヨネーズ  大匙1
ご飯     1・5合

「風よ あらしよ」【劇場版】
大正時代の女性解放運動家、伊藤野枝(吉高由里子)の生涯を追った映画。
劇場版というからにはテレビ版があるのか?と思って調べたら、NHKがドラマを放送していたんですね。現在のどかた家にはテレビが存在しないので、まったく知りませんでした。

福岡の片田舎に生まれたノエは子供の頃から読書好きでしたが、貧しい家では女に学問は必要ないとして、働き手として使われる。
それでも学問をしたい気持ちが昂じて、東京の学校へ。
教師の辻潤(稲垣吾郎)から聞いた平塚らいてう(松下奈緒)の言葉、
「原始、実に女性は太陽であった」という言葉に感銘を受ける。


人参を短冊切りして下茹でしておく。

親が決めた結婚相手と仮祝言を挙げる場面。
義父?が品定めするようにノエを眺め回し、挙句に腰回りまで触って
「うん、これなら五人はいけそうたい」
と女を子供を産む機械のように見る発言。
完全にセクハラですが、当時の田舎では当たり前の光景だったのでしょう。
夫もノエを所有物のように扱おうとしていて、それに耐え切れず、
「あんたとは永遠にさよならたい」
と捨て台詞を残して出奔。上京して辻の許に転がり込む。


油揚げも短冊に。

平塚らいてうに手紙を書いたノエ。それが目に止まり、平塚が主宰する雑誌『青踏』に誘われて参加。この時に筆名として片仮名の名前に漢字を当てる。これにて彼女は伊藤野枝となる。
講演会にて自分を含めて虐げられている女性達への思いの丈を述べる。それに聞き入っていたのが後に彼女と運命を共にする大杉栄(永山瑛太)
逆に辻は違和感を感じ始めた様子。

出る杭は打たれるのは現代でもあるが当時は更に酷く、投石やら嫌がらせ。それでも野枝は自分が信じる道を貫く。その過程で辻と別れ、無政府主義者である大杉の許へ。
やがて起こったのが関東大震災。この混乱の中、憲兵隊に連行された大杉と野枝に過酷な運命が襲い掛かる。というのが大まかな話。


枝豆を茹でる。

伊藤野枝という人物についてよく描かれていると感じました。勿論、映画ですからすべて史実とは言えません。
らいてうから『青踏』の編集権を頼まれて引き継いだと描写されていますが、実際には奪い取ったように言われることもある。
大杉と野枝が連行された甘粕事件についても、実際に甘粕が主導的な役割を果たしたのかは不明。
甘粕については↓

それでも、この映画から自由を求める人間の叫びを感じられる。
クライマックスで官憲である甘粕に向かって
「犬、犬、犬」と罵倒する場面が強く印象に残る。
村山由佳が書いた評伝小説を映画化したそうですが未読。
彼女の作品はよく知りませんが昔、インタビューを受けて、
「人間にとって一番、大事なのは自由」と言っていたことを覚えています。
その時は誰でも言いそうな陳腐なセリフと思っていましたが、この映画を観て、村山氏は本気でそう思っているのを感じました。


炊き立て玄米。

野枝が運命を共にする大杉栄を演じた永山瑛太ですが『福田村事件』に次いで関東大震災に纏わる映画に出演。奇縁か意図的か?

以前は無政府主義とかアナーキストという言葉に何となく怖いイメージを持っていました。爆弾テロでもやりそうな人々というイメージ。
暴力描写が激しい映画をアナーキーな映画と評することがあるので、それによる刷り込み或いは印象操作。
劇中の大杉達、無政府主義者が言っていることは人は自由に生きるべきで、困った時には助け合う。という至極まっとうなこと。
言葉だけではなく、実際に大杉と野枝は震災で困った人達に自分達の着物を分け与えて、最後には余所行きの白いスーツとワンピースしか残らず。後悔も困った顔も見せずにそれを着て楽しそうに踊る場面。


鞘から出した枝豆、人参、油揚げ。

辻、大杉との間に野枝は生涯、七人の子を成す。福岡の義父の見立ては正しかったと言うべきか。
映画には直接、関係ない話ですが、末娘のルイは後年、父母同様に社会の弱者に寄り添う活動に参加。
作家、松下竜一がルイの半生を描き出した『ルイズー父に貰いし名は』は講談社ノンフィクション賞を受賞。


玄米、出汁醤油、マヨネーズを投入して混ぜる。

野枝や大杉が夢見たようにお互いが助け合い、自由に生きられる社会になれば、政府など必要ない。それが無政府主義ということか。
それどころか警察も軍隊も必要ない。そのためには人類が皆、賢く人を思いやれる愛に満ちた存在にならなければならない。
故郷に建てられた野枝の墓は度々、壊されたそうです。死者にまで鞭打つようなことが長年続いた。
そんな人物が100年経って、光を当てられ映画にもなった。少しは人は進歩しているのではないかと思いたい。


伊藤野枝豆し

最近、どかた家は玄米に主食を替えつつある。映画の中でも食事場面で出てくるのは玄米。大正時代の話なので白米は一般的ではないということ。
玄米を美味しく食べるための混ぜご飯。
硬いと言われることもある玄米ですが、2,3日水に漬けることで柔らかく、発芽玄米になることで新たな栄養素も出てくる。柔らかさと胚芽のプチプチ食感が同居。
具は熱い内に混ぜるべし。混ぜご飯にマヨネーズ?と思うかもしれませんが、程よい酸味で気分はバラ寿司?
枝豆の緑と人参の赤で彩りよし。
タンパク質にβカロチンと栄養もよし。

エンドロールに野枝の写真が映し出されます。
演じた吉高由里子よりも目力強く意志が強そうというか、キツそうな顔。
今よりも遥かに不自由な時代に自分の意志を貫く生き方がそのまま表情に現れている。
しかし、現在が完全に自由で愛に満ちた時代とは言えない。
野枝に向けられた程ではなくても、出る杭は打たれるという風は未だに日本人の間に存在。

ここからは毒を吐きます。
コ▢ナ騒動のことですよ。
私のように「増す苦」も「輪苦珍」も拒否した者は、どれだけ白い目や強要の言葉が浴びせられたか。決して忘れない。

とか

とか。

人は自由に生きるべきである。それを同調圧力などというものを加えた輩ども。世間は忘れたような顔をしていても私は決して忘れない。

話が逸れた。
現代にも通じる、社会の誤った常識や無理解と戦い、信じる道と魂の自由を貫いた伊藤野枝を妄想しながら、玄米を使った伊藤野枝豆しをご馳走様でした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?