ニワトリが先か卵が先か【心の病編③】
世の中にはたくさんの病気と言われるものが存在するけれど、目に見えない”心の病”は本当に厄介だ。
ただ…今になって思う事。
私は本当に病気だったの?
それとも・・・
自分で自分を病気にしてしまったの?
彼女のその後
前回書いたM美の話をもう少し。
”統合失調症”と診断されてから 彼女の状態は悪くなるばかりだった。
何人か連絡を取っていた同級生は彼女の様子を時々 私に教えてくれていた。
聞くところによると、彼女は相変わらずお酒を飲んでは薬を一緒に服用しているようだった。
それに合わせるように、”被害妄想”は加速。
同級生は皆 少しずつ彼女から距離を置いていった。
皆が距離を置き離れていく中 唯一彼女と連絡を取り続けていた友人がいた。
彼女はM美と私の共通の友人だ。
心優しい彼女だけはM美から離れていくことはなかった。
いつもいつもM美の言うことをただ黙って受け止めるだけ。意見することも、否定することもなくM美の側に居続けた。
これは私が”向精神薬の依存”から立ち直ってからの話だが、M美は数年、過剰な飲酒と服薬を続け ある時脳梗塞を起こし半身不随に。
幸い 歩く事は出来るようになったけれど ”半身麻痺”と”言語障害”の後遺症が残ったと共通の友人の彼女から知らされた。
そしてM美は退院直後 断っていた酒も 自暴自棄になり再び飲むようになったと友人から聞かされていた。
それから数年が経過し、現在はその友人もM美とは距離を置くようになりその後のM美の現在を知る友人は誰一人居ない。
今でも私自身、彼女を見捨てたような形になってしまった事を後悔していないと言えば嘘になる。
でも・・・一体私に何ができたのだろう。
彼女に立ち直ろうとして欲しかった。
病気に逃げ込んで欲しくなかった…。
今でも彼女を思い出すたびに心からそう思う。
苦しみの始まり
2週間に一度、心療内科に通い診察、カウンセリングを受け薬を処方してもらうようになり、最初は本当に心も身体も楽になった。
ただ・・・
楽になったのは ほんの一時的なもの。
”歯が痛いから鎮痛剤を飲む”
すると痛みは嘘のように消える。
でも時間が経てばまた痛みは戻って来る。
それと同じ。
そう、対症療法でしかないのだ。
どんな薬も正しく上手に使えば、一定の効果はあると思うけど 私の経験上、向精神薬の離脱症状は想像よりはるかに辛い。
なので薬を切らせなくなったり、使用量が増えてゆく。
これが依存への第一歩・・・だったのだと思う。
そもそも私は”過敏性腸症候群”と診断され、改善が見られないから心療内科へと言う流れから始まった。
”過敏性腸炎”に加え 当時子供の頃からの”頭痛”が酷く 度々強烈な頭痛を繰り返していた。
子供の頃からの喘息も私のように自律神経が乱れやすい人に多い。
なので子供の頃から私は頭痛持ちで 睡眠不足するとすぐに酷い頭痛を起こしてた。
ある日 あまりの酷い頭痛に
「もしかしたら何か違う病気かもしれない」
そう心配した家族に連れられて脳神経外科を受診した。
私は”過敏性腸症候群”で下痢型。
それが原因で脱水を起こしやすく とにかく血圧が低かった。
どんな病院でも初診の時は色々な問診があるが、その時”血圧”のことは聞かれることがなかった為、特に気に留めてはいなかった。
CTやMRIを撮って一通り検査をしたけれど、異常はどこにも見つからず医者には”緊張型偏頭痛”と診断された。
そしてその時に出された薬が”筋弛緩薬”
この薬を出されたことで私の状態は一気に悪い方へと加速していった。
幻覚・幻聴・意識消失
脳神経外科で出された薬は私の激しい頭痛をいっぺんに直してくれる”魔法の薬”だった。
ある日、過敏性腸炎の症状のひとつである”下痢”が酷く、また嘔吐が続き、食べられない 飲めない症状が続いていた。
この症状が続くときには低血糖や脱水を起こす為病院へ行き点滴を受けていた。
しかし身体を起こすこと自体も辛く 起き上がることもできないでいた。
そんなときの下痢は本当に辛い。
なぜなら、トイレに行かなければならないからだ。
お腹が痛くなりほんの十歩余りのトイレへ一歩ずつ 時には這っ行っていた。
這って行ける間に合う状態ならまだいい。
急激な腹痛でトイレへ急ごうとすると焦って無意識に立ち上がってしまう。
しかし立ち上がった瞬間、血の気が引き倒れて意識を消失する。
数秒の時もあれば、数分の時もあったらしい。
私は立ち上がった瞬間から意識が遠のいてしまう。
気が付くとトイレに間に合わず、下着を汚してしまう事も度々だった。
またある時 横になっていると、窓際に居るはずのない外国人が背を向けて座り ひそひそと何か話していたりいたり もう亡くなってこの世に居ないはずの知り合いの声が聴こえ話しかけてきたり。
余りにおかしな事ばかり言うようになった私に、家族は心配になり、初めて脳神経外科に電話をし、それが低血圧の患者に“筋弛緩薬“は禁忌であることが分かった。
しかし・・・
向精神薬に加え、激しい頭痛から解放されたいが為私は 低血圧患者には禁忌である筋弛緩薬までも手放せなくなっていった。
続く
あとがき
ニワトリが先か卵が先か。【心の病編③】を書き終えて。
なぜこの記事を書こうと思ったか。
タイトルは文字通り 私の中で
”病気が先か”
”薬が先か”
そう、今になっても思っているから。
そしてある女の子がきっかけでした。
彼女はSNSで私を見つけてくれて
「あゆさんのような女性になりたい」
そう言ってくれたから。
まだまだ、私から見たら娘のような年頃。
そんな彼女は色々な事に悩み苦しんでいました。
そして、”鬱”や他のパーソナル障害を抱えているとも教えてくれました。
ふと、親友だったM美を思い出しました。
そして彼女と重なりました。
彼女の苦しみや辛さは、突き詰めて言えば本人にしかわからない。
でも、親友が壊れていく姿を見てきたこと。
自身が”鬱”と診断されてからの数年、普通の人生、普通の生活を取り戻すのにどれ程周囲に心配をかけ、どれ程悲しいませ、私自身が向精神薬依存を克服する事がどれほど困難だったかを知って欲しかったから。
私が彼女を救えるとかそんなことはこれっぽっちも思っていない。
だって
彼女を救えるのは彼女自身でしかないから。
だた、知って欲しい。
薬は正しい薬を正しい医者が正しい方法で使わなければならない。
そして、薬を使う自身が薬のメリット・デメリットも知らなければならない。
私は不運にも神様にさえ見えた医者が、ただ話を聞いては薬を処方し どんどん薬を増やす医者だった。
世の中には利益主義の病院や医者はたくさんいる。そんなことも知って欲しかった。
そして
薬を飲んで鬱が治ることは決してない事も…。
以前から私のnoteをよく見てくれていた彼女。
今回のこの記事が彼女に届いて欲しい。
心からそう願います。
そして同じように苦しんでいる人が居たら、知って欲しい。考えて欲しい。
そして、少しでも前を向いて欲しい。
前を向けばきっと上を見上げられる時が来るから。
ほんの少し…
微かな光でも…
苦しんでいるあなたの微かな光になれたら。
それが私の思いです。
ここから先の記事は大変センシティブな内容のため、必要な方だけ読んで頂けるよう有料とさせて頂きます。ご了承ください。
AYU