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クラシック音楽について

なぜわたしはこんなにもフィギュアスケートが好きなのだろうから考えを巡らせて、なぜクラシック音楽が好きなのだろうに行きつきました…
ふとした疑問が生まれたので、アウトプットしながら自分の想いをまとめていきたいと思います。
 

美しいと思うから

美しいという形容詞がぴったりなクラシック音楽。
美しいでも、切ない、甘美な、悲しい、壮大な、、、など美しさの幅を知ることができるのが、クラシック音楽の良さだと感じました。
楽器が生み出す音の深さには、毎回深い感動を覚えます。
しかしこの美しいという感情を誰かとシェアしたいと思っても、クラシックは興味がないや眠くなる…といった意見から敬遠されがちです。
クラシックを美しいと思う感情は全員が持っているわけではないと、思い知ったのが小学生の頃でした。
そこで大人になった今、クラシックを美しいと思う価値観はどこから来るのだろうかと考えていたところ、ある理論にたどり着きました。
 

経験的美学

人々が物事を美しいと思うことは、個人の趣味によって判断されるという、カントの判断力批判に帰依すると思いました。
これはバラが美しいと思うのは、その個人が過去にバラに対し経験した美的経験から美しいと判断されるという理論です。
それと同じようにクラシック音楽を美しいと思う人々も、個人の美的経験や価値観により判断されているわけです。
 

自分自身の美的経験

私は3歳からバレエを習っていたり、母がチャイコフスキーの音楽が好きで家で良く聴いていたので、小さいころからクラシック音楽には親しみがありました。
その後小学生の時にフィギュアスケートを習うことでよりクラシック音楽が身近な存在になりました。
そして慣れ親しんでいたクラシック音楽に付随して、バレエやフィギュアスケートの演技など美しい芸術がありました、それらは私の美的経験を育んだ大きな要因だと感じています。
そんな経験を通していつの日かクラシック音楽は美しく、私の心を豊かにする存在という位置付けになりました。
現在に至るまで、好きなアーティストに熱狂した時期もありましたが、定期的にコンサートに行ったり、心を豊かにしてくれるなと感じるのは昔から変わらずクラシック音楽です。
 

クラシック音楽の好みの変化

小さい頃はラプソディインブルーなど、主題がはっきりしている音楽を好んでいました。
またロマン派の作曲家の音楽が好きで、中でも比較的短めの音楽を好んでいました。
(長い交響曲や暗い音楽などは避けていました。)
今ではロマン派に限らず、幅広い時代の音楽を聴くようになりました。
きっかけはイギリス留学時代に、友人の所属するオーケストラの定期公演に行くようになり、幅広い時代の作曲家の音楽を聴くようになったからだと思います。
好き嫌いせず幅広く音楽を聴いていると、昔は避けていたバッハの音楽が好きになったり、新しい音楽に出会ったりとクラシック音楽の奥の深さを感じています。
こうして音楽と触れ合っていると、一生かけてもすべての音楽には出会えないのでは?と思うほど、たくさんの音楽があります。
美しいと思うことのできる感性をいつまでも育み続けたいと思っています。
 
こうしてクラシック音楽について考えていると、好きと思うことには過去の経験が強く結びついていると改めて感じました。
美しいという気持ちを大切にして、心豊かに過ごしていきたいと思います。
 

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あゆみ
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