ちぎれた意図をたぐりよせ
『久しぶり』『ラーメンでも食べに行きませんか』など、遠回しに「会いたい」とメッセージを送った。好きな人、正確には好きだった人に。
ここ最近、朝晩の急激な冷え込みで胸がずきんと痛むのを叶わなかった恋のせいにして、俺は再び深雪(みゆき)さんに擦り寄る。
新卒で入った映像制作会社を1年で辞め、故郷へ帰り、転職したはいいが、それ以来ロクな出会いがなく、生活の安定と引き換えに失った(多分)。
暇潰しにデータフォルダを眺めていたら、深雪さんとの写真がちらほら。思い返すだけで、かわいいとか愛しいとか、他の誰かには抱けない感情がぶわっと湧き上がる。
以前の職場にて。
内輪で開かれた歓迎会の席で酒に飲まれて口を滑らせ、翌日から周囲の俺に対する認識は〈常に恋人が欲しいキャラ〉、とんだ恥晒し、受け入れられても生暖かい目で見られた。
特に同期の深雪さんには、初対面であなたに運命的なものを感じた、というか自分のタイプにぴったり当てはまる、までぶちまけてしまったらしく、分かりやすく距離を取られる。
当時、彼女には交際中の男がおり、要は絡まれて大迷惑、お前のことは相手にしない、と。
目が合えばぷいと逸らされ、酔っ払って吐いた方がまだ救われる、断崖絶壁の絶望感を味わった。
ところが半年ほど経ち、記憶も薄れた頃、あちらから食事に誘ってきて、仲の良い先輩を交えた飲み会ではなく、予想外のふたりきりで緊張しながらカウンター席につく。
1日2回、店の前を通り過ぎるだけの蕎麦屋が薔薇色に染まる。食券式でどこか懐かしい和風の店内、左利きの俺はわざと右側に座り、まだ透明の仕切りがあった頃の話、深雪さんとほんの少し肘がぶつかるようにした。
「あ。〈そう〉なんだ、気が利かなくてごめんね」
すると、瞬時に反応を示したので俺は
「ううん。このままがいい」
と止める。
彼女は小首を傾げた後、スマートフォンに視線を落とす(触れていたいから席替えしないなんて気持ち悪い理由、正直に話せるか)。
バラついた前髪の隙間、アーチを描く眉、潤うダークブラウンのストレートヘアで長さは胸上、毛を片耳にかける癖、ファーのイヤリングがゆらり、垂れ目気味、ツンとした鼻先、下唇に厚み、薄く淡い化粧の中でぽっと色付いたような口紅がポイントになって、とにかく麗しかった。
俺は横目で必死に様子を窺い、天ぷらそば大盛りとカツ丼を平らげる。
深雪さんはたぬきそばと小さなコロッケを頼んで、淡々と、ただ夕飯を済ませて店を出るなり、風がびゅうびゅう吹き、身を縮めてふたり同時に思い切り叫ぶ。
「さーむっ!」
ぱっと顔を見合わせ、ぱんぱんの腹を抱えて笑った。
ジャケットは雪のようで、フリルが愛くるしいニットとハイウエストのマーメイドスカート、トートバッグとショートブーツはベージュで揃えーー言わずもがな、本日はデートの予定だったのであろう。蕎麦よりパスタが相応しいのに、俺の勘違いを加速させないための選択がこれ、と考え至った途端に苛立ちを覚える。
従って、どこぞの男を想い、めかし込んだ彼女の右手を優しく包み、出来る限り慎重に指を絡めた。
「え、えっ、なあに」
「……嫌じゃなかったら、改札前まで繋いでたい。『好き、付き合って』的なめんどくさいことは言わないし」
本当は今すぐ抱き寄せて、深雪さんと彼の事情はよく知らなくとも「さっさと別れちまえ」と吐き捨てたかったけれど、部外者ゆえ、そこは我慢して、ごくりと飲み込む。
「分かった」
儚く消え入るような声の返事を聞いて一安心、ささやかなイルミネーションで彩られる街を並んで歩き、およそ5分の道のりが永遠に感じられる。
「麺類が好物なの? なら、俺んちの近くの〇〇うどんうまいよ。ここらにも店舗ある、良ければ調べてみて」
「ありがとう」
手をぎゅっと握られ、周りからは恋人同士に見えるのだろうか。核心を突かないまま、恋愛における最初の、おいしい部分のみ食べた。
俺は電車で深雪さんはバス、改札が近付くにつれて振り払われる恐れが高まるも、
「ちょっと切ないな。って、私に言われてもそっちは困っちゃうよね。また明日」
名残惜しそうな表情を浮かべ、小さな指で俺の背中をとん、と軽く押す。
手が離れても立ち止まり「アウター薄っ。冷えるでしょ、早く行きなよ」と口にしつつ、きちんと見送ってくれる。
こういった〈ごっこ遊び〉を繰り返し、こっそり「英冬(ひでと)くん」「深雪さん」と下の名前で呼び合っているうちに、俺の母親が病に倒れてしまい、一人息子として実家に帰るべく、憧れてやっと就いた職を辞め、交際には至らず。
後から先輩が『てか。みゆきちゃん、とっくに彼氏と別れてるよ』『なんで付き合ってやんないんだ、間違いなく待ってんだろ』等々の連絡を寄越した。
自分でさえ今後どうなるか分からない状況下で、無責任に遠距離恋愛はできまい。
そうして、曖昧な関係で終わらせる?
否。『ごめんなさい、好きでした。すんっっっごく。俺は酒に弱くて、酔っ払ったら勢いで告白できるかもだけど、そんな感じも絶対ムリなぐらい』に『バカじゃないの』と返ってきた。
以降のやり取りは一切なしの失恋もどきには〈使い回し、何番煎じのエモっぽい〉ミュージック・ビデオがお似合いだ。
さて、現在に戻れば。
元通りとまではいかなくても、母が奇跡的に回復し、父と寄り添った際には、涙はおろか鼻水も止まらず顔がベタベタになる。
自分も、とどうしても思って、アプリを開くと。
『ああ、元気?』『旦那に確認しまーす』
フラれたようなもので、現実は甘くなかった。