拒食症と成熟拒否
拒食になって、周りから「あいつガリガリ」と見られることも、安心する材料になるくらい、痩せていることが板についていた期間。
そこから普通に食べることは、当たり前に葛藤がありました。
でも、前の記事で書いたように、おじやおばの家族、いとこに支えられて、少しずつ常人の感覚で食事できるようになっていきました。
今日はそこから「拒食治ったよな」と自分も家族もそう思っていた頃までを書こうと思います。
食べても怖くない
拒食の終わりから、普通に戻った時のことは、正直いうとあまり覚えていません。
それくらいゆっくりと、少しずつ、長い期間かかってしまった。
食べては、そのあと食べられず、食べないと思ったら1人で夜にコソコソ食べる。
自分でも混乱してました。
ただ「このまま食べたくないと駄々こねていてもでいても、何も変わらない」と気づいたんだと思います。
成熟拒否
駄々をこねていた私、
あとから、本を読み、摂食障害の根本として
成熟拒否、というのが個人的にしっくりきています。
私が読んだのは水島広子先生の本が多かったと思う。
食べないことで、成長しない、大きくならない、逆にやせる
物理的に大人になることを拒否してたんだと思う。
そうやって子供になることでいろんなものから自分を守っていた。
そんな感じ。
でも、このまま子供でいても、母も自分も疲れるし、
いつまで経っても学校に行けず、私は卒業できず、高校にいけないのでは??という焦りも出てきた。
それは覚えてる。
👨🏻💼「まだ、この少女の原動力は「焦り、不安」とネガティブなようですね、、」
👩🏻⚕️「そうですね、このままでは形は変われど、同じことの繰り返しでになってしまう可能性が高いでしょう」
一気に過食に転じたわけではない
少し書いてますが、だんだん、みんなが寝た後に1人でお菓子やお夕飯の残りを食べるようになりました。
まわりの家族も少しは気づいてたと思います。
でも食べないよりマシ、食べられるようになってよかった!!
と、過食のはじまりというより、拒食からの解放に喜んでいたようです。
ただ、そこまで一気に過食が出現したわけではなかったです。
普通に戻っていって、体重も少しずつ増えて、
学校に行ってもいいと、先生に言われます。
前に進む喜びと、一度離れた世界に戻る不安がありました。
どちらかと言うと後者の方が大きく、みんなにどう思われるだろうかと考えるとなかなか眠れない日々でした。
部活のメンバーには、私は学校に行けず大会に出られないから、千羽鶴を折って中体連の勝利を祈りました。
中学生という繊細な時期に、訳のわからない病気になって学校に来なかったやつ、という目は明らかに感じましたが
ガリガリになって学校来なくなったやつが戻ってきても
あからさまに避けられたりすることもなかったです。
どちらかと言うと物珍しそうな視線でした。
仲の良かった子も、引き続き「戻って来れて良かった」と仲良くしてくれました。
一度、詳しくは忘れましたが、私のいないところで少しハブるような、友達同士でのやり取りを見つけてしまったことがありました。
ただ、そのあと謝ってくれて、泣きあったのを覚えています。
そうやって、学校復帰後も先生に守られ、友達も気にかけてくれて、だんだん学校にも慣れていきます。
拒食になる前、それが原因で拒食症になったのでは?と医者から言われる、学校での出来事がありましたが、長くなりそうなのでまた今度書きます。
順調じゃん!!
そんなこんなで、比較的平和に田舎の中学校で過ごしました。
真面目だったので、先生には好かれるし、授業も課題もちゃんとやるので、学力も問題なかったです。
でも、中学3年になるとみんな塾に行くので、私も塾に行きました。
その地域で1番の高校には行けるような学力でした。
でも、その学校は電車で通わなくてはならない距離で、わたしの摂食障害が尾を引いて、親が何かあった時に近い方がいいと、レベルを落として近くの高校に行くことになります。
拒食が残っていたという不安よりは、体調が悪くなるかも、また貧血やら何やらで倒れるかも、という母の不安です。
この選択はどう転ぶのでしょうか。。
その時期の食事については「少ないけど普通に食べられる」くらいでした。
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過食嘔吐真っ只中で、お金もなく、死にたい奴がいますので注意です