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創作がピタッと止まるとき。

昨年まで、ここnoteやInstagramにイラストやらエッセイやら小話やら、たくさん描いてきた。
が、ここ最近ピタッとその筆が止まった。

もちろん、筆を持てば何かしらは描ける。
私の場合、創作は頭ではなく筆を持てば手が勝手に動く系なので、描こうと思えば何がしかは描けるけれど。
それを やりたい と、思わなくなった。

心の機微の理由を探るのは相変わらず大好きで、息をするように心の奥底を探り続けているので、何故だろうと息をするように自動的に考えた。

すぐに思いついたのは、

「わかって欲しい」が消えたからだと言うこと。

つまり、私がこれまで内側からあふれ続ける思いの丈を、イラストや文章に描き続けてきたのは、とにかくひたすらに

自分自身に自分のこの気持ちをわかって欲しかった。

そんな切なる思いゆえだったのかなと、そう思ったのです。


ためになるようなことを言ったり書いたりしない
だってボクの素晴らしいはボクにとってのものだから
ボクがボクのために表現すれば、それを楽しむ人が集まってくるよ


言語化できない思いがいっぱい、心の奥底に押し込められていた。
それは、世間の目や常識を恐れてだったり、大切な人を傷つけないためだったり。

そんな思いをとじこめすぎて忘れ去りそうになっていた、自分の本当の気持ちを自分自身に思い出してもらうため、私の心の中からたくさんあふれ出してきたものが、イラストや文章の姿で出てきていたのだと思う。だから、頭で描くのではなく身体がどんどん自由に表現していたのだろう。


常識は頭に世間ウケの良い立派なことをやれと押し付けてくる。
だけど自分の心からそれはあふれ出してこない。
そんな心と頭と行動がバラバラに生きていたら、つらすぎて苦しくなる。
だから、私の手は勝手に心の本音を描いていた。

その衝動が止まったのは、私が自分自身の本音を素直に見て感じて表現する、本来の自分に戻ったから。
そのことを自分自身が自覚するために、いったんその手を止めたのだろうと、そう思う。


これからは。
今年からは。
自分自身にわかってもらうための創作活動はもうやらなくて大丈夫。

これからは。
今度は自分自身が楽しめる創作活動をしよう。

私の願いは、これまで生み出してきた作品で、同じように自分の本音を見失って苦しくなっている人に寄り添って、これからの作品で、思わず楽しくなって踊り出しちゃうようなゆかいな世界を描こう。

ちょびのすけとオカメちゃん

あたらしい道を踏み出そう。

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