人のせいにしない生き方
楽な生き方とそうじゃない生き方
何かと人のせいにする人がいる。
○○にせいで、こんなことになってしまった!
○○を信じていたのに・・・。
誰かのせいにしたほうが人生楽に生きられる。
自分の思い通りにいかなかったら人に怒りをぶつければいい。
そう、もうお分かりのように
タイトルの人のせいにしない生き方とはとても大変なことなのです。
何があっても自分に問題のように取り上げなければいけないことでもあるのですから。
怒る人は人に期待している人
どんな時も人に意識を向けている人は、いつも周りが気になっている。
周りの言動や行動が気になって仕方ない。
人一倍疲れる人はいつも頭のセンサーをフルで活用しているためとても疲れるのです。
それでいて、自分の思い通りにならないことで人に怒りを向ける人は、さらにヘトヘトになる可能性があります。
意識を向けているだけで相当疲れるのに、全力で追い込みをかけているわけですからね。
自分の思い通りになると思っている人は、自分勝手な人ではないのです。
思い通りに物事が進むように相手にも相当気を遣っています。
その中で、違った行動をとられたりするわけですから怒りに変換される。
要は、人に対して怒る人は、その人に期待しているからなんですよね。
歩いているときに電柱にぶつかって電柱に全力で怒りを ぶつける人がいないように動かないと初めからわかっているものに対しては人は怒りを覚えにくい。
自分の行動で変わると思っているものに対して人は全力を尽くす。
「裏切った」は信じていたから生まれる罠
人に対して信じる気持ちは大切。
そうじゃないと仕事などに生じる大きな商談を人に任せることはできませんからね。
信じた相手が思った通りの行動をしてくれなかった時、人は「相手を信じたのに相手は裏切った!」と憎む感情が芽生える。
実はこの感情は一般的です。
敢えて普通という言葉をい使いませんが、一般的に裏切られた時の人の感情は昔から相当なものだと考えられてきました。
特に平安時代や江戸時代など、時代劇で取り上げられる物語の半分は人を恨むことで生まれた話ばかり。
日本の妖怪として伝承のある「鬼」も恨みを持ちながら姿を変えた女性の姿だとされています。
なので、歌舞伎や能で使用される「般若」のお面は女性を表しているそうです。
一生を共に過ごすことを約束した男性が別の女性のことを好きになった。
一生共に過ごすと約束して信じたのに!
相手を信じて裏切りの行為をきっかけに憎しみの感情が湧いてくる。
真っ直ぐに頑張る人ほど人を信じやすい
何も人を信じるなと言っているわけでない。
信じられる人って素晴らしい。
信じられない世界より信じられる世界で暮らすほうが幸せになるでしょう。
しかし、人は「不変ではない」ということを念頭におかなればいけません。
仏教の教えの中にも「永遠に変わらないものはない」とあります。
人は変わるのが当たり前。
あの人も私も。
とは言ってもやはり裏切りは許せない。
真っ直ぐフルパワーで働く人ほど、真っ直ぐで全力じゃない人が許せなくなる。
私がフルパワーなんだからあなたもフルパワーじゃなきゃおかしいでしょ!?となる。
私が全力であなたを信じているのだからあなたも信じてよね!!
もう一度お伝えするが、人を信じられるのは限られた人にしかできないものすごいことです。
体の底から人に力を注げるのは尊敬できること。
うまくいっている時はいい。
しかし、うまくいかなかったときの心のダメージは計り知れない。
人のせいにしない生き方
人に期待するとは、自分の思い通りに動いてほしいと願っている形になる。
少し違った結果になると
なんで!?
と人を責めるようになるのは明白。
アドラー心理学で語られているように
自分の力で変えられないものにベクトルを向けることは、雨に怒っているようなものです。
天気のように自分の力で変えられないものは周りにたくさんあります。
それは自分以外全てのものです。
つまりパートナーだろうが、子供だろうが、人を変えるのは不可能だということ。
馬を湖に連れて行くことはできるが、馬に水を飲ませることができない。
という、中国のことわざでもあるように環境は自分の力で変えられるが、人や動物の気持ちを変えることはできないのです。
自分の力で変えられることと変えられないことを分けることが人のせいにしなくなる生き方ではないでしょうか。
自分が力を注ぐベクトルと結果への寛大さ。
そしてどうなろうと歩き出す切替の速さにもつながってくるかもしれません。
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