精神的な自立について〜依存と孤独〜
12月下旬…ぐっと寒くなってきました。
暖かい格好で過ごしてくださいね。
今日は、記事のタイトルにもあるとおり「精神的な自立について」私の個人的な意見を書きたいと思います。
「依存先をたくさん持ちましょう」の違和感
みなさんはこの言葉をよく聞きませんか?
私はこの言葉がとても好きでした。大学生の頃はこの言葉に影響されてたくさんの居場所(依存先)を作ろうと頑張っていました。でも、30代になってこの言葉に対する考え方が変わりました。
「依存」とは何なのだろう?
おそらく世間で言われる「依存先をたくさん持ちましょう」という言葉は、一つの居場所に固執しすぎるとその居場所がなくなった時に他に行く場所がなくなってしまうからだと過去の私は解釈していました。
1つの居場所に固執するというリスク
私は高校生の頃にクラス替え3年間がありませんでした。
1年生の時に仲良しだったグループがだんだん苦手になってしまいました。でも他のグループに移るコミュ力もなければ、今あるグループを抜けて1人になる孤独に耐える強さもありませんでした。
家庭も機能不全だったので安心できる居場所がありませんでした。学校での居場所がなかった私には逃げ場がどこにもありませんでした。
こうした失敗経験から、大学生になって多くのコミュニティに参加することに注力しました。
学校の私、同人活動の私、いろんな人と出会う私。
それは孤独を回避するために、現実逃避をするために、ここじゃないどこかに行くために。さまざまな理由が複雑に絡み合っていました。
多くの依存先を持つことで思ったこと
「依存という行動はなぜ生まれるのか」ということを社会人になってからぼんやり思うことが増えました。
そして最近メンタルや心理学関係の本を読むようになって「依存」は「安心」を求めてやっているんだとわかりました。
この「安心を求めて」というのがかなり根が深い問題で、他人に「依存」しても「本当の安心感」は得られないのです。他人に安心をもらっても長くは続かないのです。
だから「依存先をたくさん持ちましょう」という言葉に感化されて、たくさんの人に出会い、コミュニティを持っても一瞬の安心感と強い空虚感が残りました。
そして私は思いました。「いつまでも依存先を探すのではなく、自分の心が自立しないと意味がないのではないだろうか」と。
精神的な自立を目指す
精神的な自立とはどういう意味なのか。簡単に言えば「ひとりでも、他人といても自分らしく出来る」ということだと思っています。
「他人といても自分らしく出来る」というのは他人(またはコミュニティ全体)に依存していた私にとってとても難しいことでした。自分らしく生きたら、「そのコミュニティから追い出される=孤独になる」と思っているからです。
なので依存先を多く持つことで安心していた私にとって、依存先に順応できるように本来の「自分らしさ」をどこかに置いてきてしまったんですね。しかも何年も前に。
依存する人にとって「自立」するということは「本来の自分らしさ」を探し、取り戻す作業が必須になります。これは私自身非常に難しい課題であり、いまだに達成できていません。でも自立しようとすることで少しづつではありますが自己肯定感・自信が育っていると思うし、意味のある取り組みだと思っています。
自立することで本当の"安心感"を得られる
私は何かに「依存」をすることに数は関係ないと思います。なのでいくらたくさんのコミュニティに属しても、友達がいても、結局その対象に「依存」していては自分らしさを失い、自立が出来なくなってしまうかもしれないと思います。
「依存」ではなく、「本来の自分らしさを認めてくれる」場所を増やすことがコミュニティを増やす正しい目的だと思うようになりました。でも、そんなコミュニティがなくてもいいのです。精神的に自立した人は、一人の時間を楽しめる人です。つまりコミュニティに属さなくても行動ができる人なのです。
そして「精神的に自立」した人間同士が集まれば、依存することのない自立したコミュニティが生まれます。
「依存」しているか判断するコツ
ここで一つ、自分が「依存」しているかを判断するための考え方を一つ紹介します。それは、相手に”期待”している時です。(コミュニティ、組織などでも同じ)
「あの人は〇〇してくれない」「ここにいても〇〇してくれない」などの感情が出てきた時です。この感情が強く出ている時は自分が相手に依存しているかもと考えてみるといいのではないでしょうか。
※そう思うことを否定しているのではありません
「依存」は悪ではない、でもあくまで一時的に過ぎない
先ほどの文章だと「相手に期待をして何が悪い」と思われるかもしれませんが、依存も期待も"悪いこと"とは思いません。
私も依存することがあるし、期待もすることがあります。
人間は孤独になることを恐れる生き物だと思います。それは大昔に孤独になることは死を意味するからだったのかもしれません。
私は本能的に自分が孤独にならないように自分らしさを犠牲にして周りの環境に順応しようとしてきました。
でもそうすることで置いてきぼりにされた「本当の自分らしさ」の感情はずっと抑圧され続けてきたんだと思います。
こういった抑圧された感情が不満や怒りとなり”期待”という形で他人に解消してほしいと思ってしまう。
それはあまりいい結果を生まないと自分自身が体験して感じてきたことなのです。
生き残るために上手く依存してもいいけれど、将来は自立できるようにしたほうが今感じている不安や怒りを減らせるんじゃないかと思っています。
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以上になります。少し批判的に感じた方もいるかもしれませんが私も常に何かに依存してきた(している)人間です。決して批判することが目的ではございません。
長くなりましたが、最後までご覧いただきありがとうございました。
最後に、今回の記事で参考にした書籍を2冊ご紹介します。
よろしければご覧ください。
▼参考文献
安心感~自己不安を「くつろぎ」に変える (だいわ文庫)|加藤 諦三 (著)依存の心があなたを不安にさせる 大和書房60周年記念・復刊文庫、第2弾!
以上です。
最後までご覧いただきありがとうございました!(^-^)/
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