感情を表す言葉が「嬉しい」と「嬉しくない」だけになったら|『一九八四年』
感情の揺れを表す言葉をエモいやヤバいに収束したり、写真にした時に美しく表現できることを映えるという言葉に収束したりすることで単純化された言葉を日常的に使用する人が増えたと思う。
それ自体は個人の選択なので何ともいえないのだが、大きな影響力を持つメディアまでもがそういった単純化された言葉ばかりを使うようになってどこを見てもあまり差異がなくなってしまったと感じることが増えた。
そんなことを考えながら一年ほど前に読んだ『一九八四年』を思い出していた。
言語と思考が必ずしも依存し合っているとは限らないとしても仮に大きな影響を与え合っているとするならば言語を統制することで思考を制御することが出来るのだろうか。
まず私たちは語彙が増えれば増えるほど相手のことを理解できるのだろうか。
いくら語彙が増えたところで私とあなたという関係性においてお互いに同じ語彙を共有していないと話が噛み合わない可能性が存在する。おそらく私たちはお互いが完全に同じ語彙を共有しているわけではないので、相手の言葉を自分の知っている言葉に置き換えて理解する試みが必要になる。
しかし、この場合言葉を変換したことを忘れてはいけない。相手が選択した言葉と、私が変換した言葉は完全に同じではないので分けて覚えておく必要がある。それを同一視してしまうと少しのニュアンスの違いが大きな意味の違いに発展することもあるかもしれない。
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語彙が減少すると表面上相手を理解することは容易になる。例えば感情を表す言葉が「嬉しい」と「嬉しくない」の二語だけになった場合、相手の感情を理解するためには、「嬉しい」か「嬉しくない」の2択になるので比較的簡単になる。
しかし、表す言葉が減少しただけで私たちの感情が減少したわけではないので本当に私たちの感情を理解できたとは言い難いのではないかと思う。
語彙を減らすということは単純化の作業であるとも言える。複雑なものを単純にする作業である。2つのものを比べる時に違いはあれど大まかに同じであればその違いを削ぎ落として同じ言葉へと分類することができる。
そのため、語彙を減少させる(意味が分かりやすい語彙だけを残す)ことで分かりやすさを高めることはできるが、その分表現できない事柄についても増加するのではないかと思う。
ただ単に語彙を減少させるだけでは、一つの単語に含まれる意味を増やすことによって私たちの思考が狭められることはないのではないか。
しかし、語彙減少と共に意味減少を試みると一つの単語に一つの意味しか含まれなくなるため思考の幅は極端に狭められることになるのではないだろうか。
単なる語彙減少は抽象性を高めることになる。
そこに意味減少が伴うことによって具体性が増していくのではないだろうか。
私たちの感情を表す単語が「嬉しい」と「嬉しくない」だけになった場合、ポジティブな感情は全て「嬉しい」に、ネガティブな感情は全て「嬉しくない」に集約されるので、今の自分の感情を表す選択肢は2択になるとも言える。そのため自己表現力が高まったという感覚に陥る可能性はある。
語彙間の差異を排除して同一の単語に意味を集約するという単純化の行為を分かりやすさだと捉えてしまうことは恐ろしいと感じる。分からなさを排除して分かりやすさだけを残すことで辿り着く理解とはいかがなものかと感じてしまう。
単純化をしてしまうと、ある概念についてお互いに認識の違いがあったとしてもその差異を表す言葉がなければ認識の違いを伝えることが難しくなってしまう。単純化された言葉の中に何がどう違うのか伝える手段がないならば、相手に対して異議申し立てが出来なくなる。そうなれば権力者側は多数の集団でも統治しやすくなるのかもしれない。
権力者にとって都合の良い解釈を認めさせることが容易になる、とも言えるのかもしれない。単純化は意味を明確にするだけでなく複数の意味を含ませるという意味では曖昧さを併せ持つので相手に勘違いさせた後に都合の良い解釈で言い逃れすることもできるのかもしれない。
差異を表すときには新たな語彙が必要となるため語彙力が豊富な人はそれだけ差異を見つけることができる人であると言えるのかもしれない。
一見矛盾するようなスローガンでさえそこに論理が組み立てられ、知識の刷り込みを行えば私たちはそれが正しいと感じてしまうこともある。権力者側が被支配者側に抑圧されていることに気づかせないことが可能なのかもしれないと感じた。
同時に、それに気づくためには知が必要なのではないかと考えた。支配者が被支配者に気づかれないように自分たちの都合の良い施策を進めようとする時にその差異に気づくことができる人になりたい。
大袈裟かもしれないが、単なる語彙減少が多少なりとも私たちの思考を狭めることに繋がるとするならばもっと多様な言葉を用いて思考を広げていきたい。
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