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何万回も出逢ってきた言葉が、やっとハラに落ちる瞬間。

数秘家と料理代行、二足の草鞋を履く、やうっちゃんこと矢内です。

今日は『言葉が自分の中にハラ落ちする瞬間』について綴ります。

いろんな人たちから発せられる、耳馴染みのある言葉たち。

たとえば、
『願いを叶えるためには、行動があってこそ』とか
『人生の流れは、生まれる前から決まっている』とか…

それが、じんわりと自分のハラの奥のほうまで落ちていく時

それは、その方の通った道を、自分自身が通過している時。

「うわ~、マジで、そうだわ!これのことかぁ!」という瞬間がやってくる。

何万回、役に立ちそうな話を聴いても、ベストセラー本を読んでも、自分の現在地や心境がかけ離れたものであれば、その言葉たちから受け取れるものは大きく違っているのだと思います。

言葉の数々を、どんなにノートに書き貯めても、どんなに脳内に閉じ込めても、自分の経験が圧倒的に少ないときには、妄想の域を出ていない。

『その時点での自分』が想像できうる解釈でしか、言葉を捉えられない。

特に、自分にとって耳が痛いようなフレーズは、攻撃されているか馬鹿にされているような感覚が沸きあがってきて、到底、素直に受け入れられない。(その言葉が核心をついていて、図星であればあるほど、怒りや抵抗が沸いてくる 笑)

だから、怖いけど動いてみて、失敗も含めて経験することを許可していったとき、はじめて、「あぁ、こういうことだったのか…」と、やっとやっと腑に落ちる。

もちろん、その方の発したニュアンスと、ぴったり同じものではないのだろうけど…。

その方の言葉たちの温度や意図することが、前よりも少し、わかるようになる。

あぁ、攻撃でもなんでもなかった。ただの事実だったんだな…とか 笑

劇的に反応していたのは、勝手に傷ついているのは、どうやらこちら側の状態が原因だったようだ。

防水加工をしている生地のように、自分が受け付けられない言葉をはじいていたし、運悪く通過してきた言葉たちは…聞かなかったことにしてみたり、深く深く傷ついてみたり。笑

過去に読んだ本を、時間をあけて再度読んでみると、自分の中にしみ込んでくる言葉が違ったり、まったく同じ言葉でもニュアンスが変化して入ってくることがある。

その期間に経験したことや気づいたことで、自分の立っている場所や物の見かたが少しレベルアップしたり(時にはダウンしたり)しているから、同じものを見聞きしても、受け取る部分が違ってくるのだ。

なーんて、語っちゃったりしていますが、まだまだ知らないことだらけ。

ここから先、たくさんの言葉と出会って、その解釈がぎゅんぎゅんハラに落ちていく感覚を、めいっぱい楽しみたいと思っています!

私にとって、この感覚と瞬間は、本当に大好物です。笑

だから、自分で仕事をしていくことが、好きなんだと思います。

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