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全然笑えない

数年前、派遣で働いている会社で、年末に向けてもう一人増員されることになった。
やってきたのは、30代くらいの男性でスーツをパリッと身に着けて真面目そうな人物。

派遣会社のコーディネーターとの面接や経歴の審査などをクリアして入っているはずだから(派遣社員は即戦力だと思っている)、「普通に」考えてこれくらいはできるというイメージがある。
こういうとき、大抵は「風待ちさん、面倒をみてあげてね」と言われる。
まあ、年上だから仕方がない。

それで、なるべくわかりやすい業務を選んで分担する。
準備ができるのを待つまでに何もないのも手持ち無沙汰だろうと思い、出来上がっているエクセルの表に追加の3人分(3行)を挿入するのをお願いした。
どのセルに何を入れるかは、すでに入っている項目を見て同じ種別のものを入れれば済む。
初めてやる人にだってわかる、むしろ、こんなものを指示して俺を馬鹿にしてんのかと不快に思われることを心配した。

席はひとつ置いた隣。
ときどき「大丈夫そう?」と尋ねる。
「大丈夫です」

しかし、画面に向いて固まったまま、3時間かけても「できた」という報告はない。
えっ、言ってこないだけ?
参考までに、ほかのところ見てる?

覗きにいくと、ひとつも進んでいなかった。
「挿入」がわからないのか。
でも、最初に「わかります?」って確認したとき「はい」って言ってたよね。
たった3行です。
慎重に項目を入力していっても数分の作業です。

エクセルの入力はあんまり得意じゃないのかなぁ。
それで、すでに出来上がった画面と紙資料の一次チェックをお願いした。
あとで私が確認しようと思っていたもので、表の順番に紙も並べ直してある。

私が二次チェックをする段になり、紙がバラバラになっていると気づいた。
え?順番変えないでって言ったよね。
というか、言わなくても変えないよね、普通。
でもこの「普通」というのはあくまでも私の普通なのだ。
内容のチェックもしたのかしていないのか、修正が必用な箇所への記載もない。
でも紙に「チェック済」の印は付いている。
チョンチョンチョンとただリズミカルに印だけつけていったものか。

紙は単体ではなく、いくつかの添付資料とセットにしてクリップかホチキスで止めてある。
全国の支社や部署からそれぞれを集約しているので、クリップで止めてくるところとホチキス止めのところ、ワンセットずつクリアファイルに入れてくるものとさまざまになっている。
全部ホチキスに直さないのは、チェックがしにくくなるから。
全部確定してからホチキスに統一する。

クリップを外してチェックし、止めないままで前の紙に重ねる。
クリアファイルから出したらそのまま重ねる。
ばらけて落ち、どれがどのセットだったかわからなくなる。
山が高くなると、崩れるのを恐れたのか、途中に突っ込む。

3日くらいで、私のメンタルは相当やられてしまった。

こういうとき、私は自分のいら立ちを絶対に外に出したくない。
だから、相手が落ち度や責めを感じないような言葉を慎重に選んで「次からはこうやってくださいね」と笑顔でお願いするのだが、内心は真っ黒になっていて「てめぇなんかもうやめちまえ、ここにいる価値なし!」とか叫んでる。
この自分の本音と実際の態度とのあまりの落差に、大きなストレスを感じてしまう。
そして、それらを全部飲み込んで、ひたすらやり直しの作業に励んだ。
私の繁忙解消のために増員したのに、そのおかげで私の残業だけが増えている。
なんなのよ、これ。

現場の指揮命令者に、それとなく探りを入れてみた。
もしかしたら病気や障害があるためにできない可能性もあると思った。
でもそれならそれで、私にも「そういうことだから配慮してあげてね」と一言くらいあってもいい。
しかし、そういう話はなかった。
単に「仕事ができない人」なのだ。
こういうくくりや決めつけはいけないとわかっていても、せずにはおけない。
だって、「普通にできない人」の段階を超えている。

小学生の頃から家では帳簿をつけ、請求書の発行をしてきた。
大学生からはオフィスでやる事務仕事のバイトを本格的に始めている。
実務経験に加えて50歳を過ぎてからITパスポート、エクセルとワードのMosとビジネス文書の資格を取った。
経歴を知っている人は、一緒に入った人、ちょっと後から入った人のお世話を私に頼む。
あるときはお守り役であり、尻ぬぐいである。
でも、同期だし、同じ報酬なのよね。

世の中、やらないもん勝ちなんだと思う。
仕事だってある意味、しないもん勝ち。

処理や納期が遅れてクライアントや他のスタッフに迷惑をかけそうになるギリギリのラインをどこまで我慢できるか、なのだ。
我慢できない人がフォローしてしまう。
そして、やらない人はそのままで結果的にうまく収まる。
私は、ラインが迫ってくることに早いうちに耐えられないので、そのイライラと引き換えに自分がやったほうがラクと思ってしまう。
そして気づいたら心も体も疲弊しているのだ。

だから。
私はドラマ「無能の鷹」を1回で離脱した。
世間では滅法評判がいい。
でも、私は全然笑えない。
ギャグにならない。

仕事でメンタルやられてる人見たほうがいいというツイートもあったが、私はこれを見たらメンタルやられる。
私は、普通の人が、ときどき失敗したりつまずいたりしながらも、できなかったことがすこしずつできるようになっていく物語のほうに癒される。

パリッとスーツ着こなさなくても、ダサくても仕事のできる人と一緒に働きたい。
別の部署の話でも、笑い飛ばすことなんてできないし、深く同情する。
私にとってこの物語は、喜劇ではなく悲劇である。
このドラマファンのかた、ごめんなさい。

私は、これを楽しむには、長く働きすぎたのだろう。
年を取りすぎた。

私が休みを取ったあいだに、エクセルデータの数式や関数を消され、ひいては過去分のデータのブックまるごと消去されたときに、私はキレた。
(バックアップは取ってあったけど)
キレたといっても、特に表には出さず、次の更新はせずに去ることを決めただけである。
するとそれを聞いた例の男性が、私がいなくなったら自分一人ではできないと言い出して、彼も更新しないと言い出した。

あ、あ、あ、あんたが先に辞めると言ってくれれば、私は辞めずに済んだんだよっ!
引継ぎもあり、後任が派遣されてきたが、この人は普通に仕事のできる女性で私とはとても気が合った。
なんでやめるのぉ?と残念がってくれた。
この人とペアだったら、ずっと気持ちよく、また効率的に働けたのに。
人生って運とタイミングよな。

更新しないと言い出してから、その期限もまっとうせずに、彼は突然出勤しなくなった。
自分が仕事ができないと気づいたのか。
あるいは、仕事ができないと思われていることにしんどくなったのか。
無断欠勤が続いたので、指揮命令者が派遣元にクレームをつけたらしく、コーディネーターから「風待ちさん、何か知らない?」と問われたが、こんな奴を寄越したあんたのせいでもあると腹を立てていたので、何も報告しなかった。

残業代未払いとかハラスメントとかいろいろあったけれど、仕事ができない人、やる気のない人と働くのが一番しんどい。


読んでいただきありがとうございますm(__)m