若いころ、急な病を得て死にかけたことがある。 不妊治療の果て、ようやく初の妊娠中。 緊急手術をしなければ私が死ぬと言われた。 しかし、私が死んでお腹の子が助かる道はなかった。 両方死ぬか、私だけが死ぬか。 それで私の命は助けられた。 梅のほころび始めに手術して、復職の朝は桜吹雪の中を歩いた。 そのとき私は「生かされた自分の使命はなんだろう」と思った。 子供時代、年の離れた兄の本しか読む機会がなかった私は、小難しいことを考えるのが好きだった。 シンプルなわかりやすいものを面
朝、ゴミ出しに出たときポツポツ来ていて、雨かぁと心までどんよりした。 仕事を辞めてから、散歩の予定も雨だとあっさり取りやめにする。 それができる自由を満喫している。 いやなに、これまで何十年も「やらねばならない」ことに縛られていたツケを回収しているだけだ。 でも、今日は出かけねばならなかった。 銀行から司法書士さんを紹介してもらうことになっていた。 「実家じまい」「墓じまい」に続いて「自分じまい」の準備。 ここから先の文章は、一人で老いと死を迎える私だからの話。 ほとんど
85歳のときの谷川俊太郎さんは、「死ぬのは怖いですか」という中学生の質問に「僕も中学生のときは怖かったけどいまは怖くありません。だからあななたちももうすこし待てば怖くなくなります」と答えていた。 私はまだ怖い。 交通事故もコロナもインフルエンザも癌も怖い。 老いも認知症も怖い。 それって「死」が怖いわけじゃなくて、死に至るまでの過程で痛かったり苦しかったり不自由だったりする「生」が怖いのよな。 でもいちいち説明するのが面倒なので「死ぬのが怖い」ということにしておく。 死
スマホになる前、まだ携帯電話だったとき、着メロというのが流行った。 私の最初のケータイは二つ折りで、パカッと開けて誰からの着信か確認するタイプ。 父が倒れてその容体急変に備えてのものだったから、気軽に「教えて」とか言われると、正直困惑した。 着信はもちろん、友人(そんなに親しくない)「おはよー」とか「いまココ」みたいなメールが苦手だった。 でも言えない。 着メロが流行ったとき、実家の家族と施設と病院と夫と仕事関係をメロディで分けた。 まあ珍しかったからやってみただけ。 実
「望月」の回だった。 まひろとの逢瀬や想いの象徴として描かれてきた月だが、今回が一番美しくなかった。 これまで見聞きした中でもっとも不穏で不安で寂しげな望月の歌だった。 娘らを政争の道具とし、誰も幸せにしない婚儀を強いてきた道長。 頼通が引き継いだのは、やりかただけで、民への思いは置き去りなのだろう。 そもそも、このドラマでは途中から民への思いはさほど感じられなくなり、そういう道長をまひろがどうとらえているかが曖昧になっているような気がする。 政敵がどんどんいなくなること
素直にドラマに入っていけない自分にうんざりする。 純真な姿を演じる子役があまりにも達者なために、その邪気のない明るさを無神経と感じてしまう自分。 私はいるかいないかわからないほど静かな子供だったから。 感動する心のどこかで「この子、うるさいな」と思ってしまう自分がいる。 そのことに気づかないようにしようと必死になっている自分。 でも気づいている。 それに疲れる。 教師の正論や熱意とか。 それと、幸せはお金の有無じゃないと言いたげな展開の登場人物がお金持ちだったり。 そう
体調不良。 このところ微熱が続く。 しかし、大腸内視鏡検査の折に、混在した待合室でコロナ感染してからは、内科のある病院へ行くこと自体が怖い。 行ったことで、元の病気以外の感染症ももらいそうで。 類型変更前のように、コロナの可能性の有無で受付や待合室を分けてほしいなぁ。 インフルが増加中とのこと。 予防接種は10月に済ませている。 コロナのは打っていない。 先日、心療内科の先生に「先生はどうします?」と訊いたら、「僕もインフルは打ちました」と言っていた。 コロナには触れなかっ
昨日行った町を、かつてはくまなく歩いた。 城址公園や武家屋敷、そして古寺。 一番近くでも10年以上前だが、そのときはもうすこし町に賑わいがあったように思う。 沿道の店がほぼ閉じていた。 水曜日だったので定休にしている店もあるだろうが(水曜は「儲け話が水に流れる」という験を担いで)、明らかに廃業に見えるところも多い。 車通りは多いが、歩いている人は滅法少ない。 観光客が押し寄せる名所は好きじゃない。 だから、私にとって「人の少なさ」は歓迎すべきもの。 けれども、それはそこに
いまは花の季節ではない。 しかし、花のときを待たずに閉館とされているので、本日久しぶりに再訪。 今朝起きたら、ここ数日では一番体調が良さそうだったので決断した。 送迎バスのある最寄りの鉄道駅に近づくにつれて、家々の間に緑が多くなる。 こんもりとした森や、突然開ける広々とした農地に目を見張る。 コロナ以降、ほぼ会社と家の往復しかしていなかった私には、懐かしくも新鮮な風景だ。 何度も来ているはずだが、記憶は朧である。 無料送迎バスの30分前に駅に着いたが、すでに乗り場には行
本日は、給水ポンプ取替工事のため全戸断水。 出かける予定だったが、体調いまいちなので先送りした。 「今日でなければならない」という事象がほぼなくなったのはありがたい。 先月は、この地で初めて図書館から本を借りたが、返却期限が迫ってくるとどんどんプレッシャーになった。 1日前に返したが、やはり私には向いていないとわかったので、借りずに帰ってきた。 学術的資料は、電子書籍として家にいながら貸し借りができる。 期限が来たら閲覧できなくなるだけだ。 一般書籍もそうなってほしい。 昔
首相指名選挙で大量の無効票があった。 決選投票になったときどうするかは事前に報じられていたけれど、そうとわかっていてもガッカリした。 先日の衆議院選挙の折、著名人?が「入れたい候補者がいなかったら白票でもいい」と言ったという話があったが、白票は棄権と同じである。 たとえ全面的に支持できなくても、一番近い誰かを選択しなければならない。 裁判官の信任投票は「×」をつけないと「〇」をつけたことになってしまうが、白票も棄権も無効票も同じである。 これまで投票率が高いときは野党が勝
衆議院の首相指名選挙投票中だが、13時から正副の議長選挙もやっていた。 つまりすでに全員3周目なわけで、議長もあらかじめ決まっていたようなもの。 特別国会の会期は4日間しかない。 こういう慣習を脱して、審議に時間を回して欲しい。 能登の復興だって予備費でなく予算を立てられるのに。
★愛とか 三条帝に譲位を迫る道長。 帝の目や耳の病の原因は何かわからないが、ストレスが悪化に拍車をかけたのだろう。 そこをすかさず譲位の理由に利用する道長の巧さ、ずるさ。 内裏ではたびたび火災が発生するけれど、すべて失火なの? 放火でないとしても、天の意思とかなんとかいってうまく利用されている気がする。 行成が大宰府行きを望んだのは、変わっていく道長を見るのがつらくなったからだろうか。 自分の思いと道長のそれが一致しないこと、されど従わざるを得ない権力構造。 いや、行成に
テレビやネットで政治家や著名人の謝罪コメントを目にすることがある。 名誉棄損や何かしらのハラスメントに対して、被害者が明らかに「受けた」と言っているときの話。 最近では、辞任した元知事。 それと芸能人が出版社に対して訴えた名誉棄損を取り下げたことなど。 「もし、私の言動で不快な思いをさせたとしたら申し訳ない」というやつ。 「もし、不快にしたとしたら」って、されたほうがすでに「された」と言っているのに「もし」もクソもない。 これは、「不快にさせるとは思っていなかった」という
昨日は、月イチの心療内科の通院日。 変わりないです(薬が効きます)ということを報告して、処方箋をもらうだけ。 先月受けた紙の睡眠テスト?の結果が出て、13ポイントということ。 15ポイント未満が「きちんとした睡眠が取れている状態」だそうで、数か月ごとに受けているが、前回は18ポイント、その前は17ポイント、その前は22だったと言われた。 最初に受診したのは去年の秋で、その前に処方してもらっていたクリニックで「もらい事故」のようなコロナ感染があって、もう行くのが嫌になってしま
ドラマ「団地のふたり」の最終回を見た。 ロケ地となった団地は、元彼の家の近くにあって、昔は団地内の公園やスーパーによく行ったものだった。 その時点ですでに「古くからある」という印象だったが、いま検索してみるとかつての面影のないリノベされた分譲物件の画像がヒットした。 小学校4年の途中から大学1年まで過ごしたアパートの近くには、それなりの規模の団地がある。 中学校の同級生も多く住んでいて、その頃はそこそこ友達もできていたので遊びに行くこともあった。 ダイニングキッチンとか、ホ