まやかし
意識という物理現象、その環境という土台の上で、
認識は認識を実在と捉え、それを現実として体験する。
過去生で負った傷跡と同じ場所に痣が現れたり、
死んだ人と会話したり、キリスト像が泣いたりする。
輪廻転生、過去生、来世、天国、地獄、守護霊、悪魔。
自我を喪失したり、霊界を出入りしたり、臨死したり、
真我や神と一体化したり、認識し得るあらゆる現象性。
だが、これは想像火傷と変わらない。
実際に起きている現実は否定できないにも関わらず、
意図の有無と無関係に、主観を反映しないものはない。
人が見ているのは事実ではなく、脳が自動的に解釈し、
限定した範囲の認識が現象化したものという事になる。
つまり、その殆どが事実ではない。
固定観念である。
にも関わらず、それは洗脳装置のように人を支配してしまう。
運命学を信仰するなら、運命学は様々な"まやかし"を提供し、
人を固定観念に閉じ込め、現象化し、人生を支配するだろう。
ある時は異様なほど的中し、別の時にはそれが的中しない。
それは必ず、自らの事実と矛盾する事で更なる信仰を要求する。
認識の定立、固定観念は信仰が揺らぐと維持できないのである。
事実は誰にとっても自然の事実なのだから、信じる必要がない。
自然(じねん)という事実は、必ず人の認識をすり抜けてしまう。