マガジンのカバー画像

ある錬金術士の話(仮題)

25
運営しているクリエイター

2014年8月の記事一覧

【ある錬金術師の話(仮題)7】

  錬金術にしても医術にしても哲学の部分は同じであり、だからこそ、どちらの知識も学者には不可欠な常識だった。

 だから、錬金術士は医学の知識もあったし、占星術師は錬金術の知識も持っていた。 

ちょうど、西欧の言語は数多あるとしても、その元をたとればラテン語であるのと同様なのだ。 

 1509年、ホーエンハイムはイタリアのフェラーラ大学に進学する。父と同様、医師としての道を歩み始めたわけだ。 

もっとみる

【ある錬金術師の話(仮題)6】

そもそも古代の人達は、どのように金が出来ると考えていたのだろうか? 

 実は、金属も人間のように、成長過程をたどると考えられていた。

 人間が誕生し、幼児→少年→青年→大人→老人となり、いずれは死ぬ。

 そしてまた新しい命となる。同様のことが、金属にも起こっていると考えていた。

 つまり金属の死(腐食)の後に、再び新しい金属に成長すると考えられた。 

その中でも、金は最終段階なのだ。 

もっとみる

【ある錬金術師の話(仮題)5】

もう一人、彼に多大な影響を与えた人物がいた。 

ジークムント・フューガー伯爵である。

フィラッハには、ヒューガー伯爵の製錬所が有り、彼はここで錬金術の手ほどきを受けた。

ここで少しだけ、錬金術について触れておこう。 

 錬金術とは、「化学的に金を作る方法」である。金は金属の中で、”最も完璧な存在”と考えられていた。金は王水以外の溶液には溶けず、酸化もしない。

 だからこそ、ツタンカーメン

もっとみる

【ある錬金術師の話(仮題)4】

彼の母親の死後、父は彼を伴ってオーストリアのフィラッハに移住する。

フィラッハは古代ローマからの交通の要衝のみならず、スロベニアのイドリア鉱山にほど近い場所にあった。
当時、イドリア鉱山はオーストラリアの領地であり、ここで採取される水銀はスペインのアルマデン鉱山につぐ、世界で2番目の産出量であった。
そのため、錬金術師たちがこぞってここを中心に活動していたことは、自然な流れであった。

そして彼

もっとみる

【ある錬金術師の話(仮題)3】

パラケルススの出生は、数奇に満ちていた。

1493年、スイスのアインジーデルンにて生誕。
スイスの一部地域には、古来より低身長の者が多かった。
先に述べたように、パラケルススもその例外ではなく、低身長であった。

今でこそ、その原因はクレチン症(食事性のヨード欠乏)によるものとわかっているが、当時は風土病と考えられていた。
そしてパラケルスス自身が、世界ではじめて、その原因が甲状腺腫である、と突

もっとみる

【ある錬金術士の話(仮題)2】

その都カイロには、あまり似つかわしくない男がいた。

 男といえば、男なのではあるが、背格好は子供のよう。

 せいぜい150cm程度の小男である。 

 その男の名はパラケルスス。

 本名はテオフラストゥス・ボムバストゥス・フォン・ホーエンハイム。

 実は、「パラケルスス」というのは自称であり、本名ではない。

 “ホーエンハイム“をラテン語読みにしたのだとも、”古代ローマの名医ケルススより

もっとみる

【ある錬金術士の話(仮題)】

エジプトはナイルの賜物(たまもの)。

 ヘロドトスの『歴史』における一節であるが、まさにナイル川こそがエジプトに繁栄をもたらしたものであった。 

ケニア、ウガンダ、タンザニアに囲まれたアフリカ最大の湖、ヴィクトリア湖から流れでた水は、世界最長の6690kmもの距離を要して、デルタ地帯を形成した後に地中海に降り注ぐ。

 周辺を見れば一目瞭然ではあるが、このナイル川がなければ、文明どころか人も寄

もっとみる