【ある錬金術師の話(仮題)7】
錬金術にしても医術にしても哲学の部分は同じであり、だからこそ、どちらの知識も学者には不可欠な常識だった。
だから、錬金術士は医学の知識もあったし、占星術師は錬金術の知識も持っていた。
ちょうど、西欧の言語は数多あるとしても、その元をたとればラテン語であるのと同様なのだ。
1509年、ホーエンハイムはイタリアのフェラーラ大学に進学する。父と同様、医師としての道を歩み始めたわけだ。
そして卒業後、見聞を広めるために、世界中を回ることになる。それこそ眉唾ものの医療から、根拠に基づいた医療まで、幅広く学んだ。
確かに、怪しげな医療というのは現代でも存在しているし、その多くは詐欺的なものである。
例えば、「○○が体に良い」、といったものだ。
人間はそれぞれ個性があるように、身体も差異がある。
子供と大人、男性と女性、それだけでも大きな差がある。
だから、十把一絡げに良い物などはない。
ある人には不足しているものでも、ある人にとっては摂り過ぎのことがある。
摂れば摂るほど体にいいものは、存在しないのだ。
そうは言っても、全てが役に立たないわけではない。
科学的に”証明”するということは、時間と労力とお金がどうしても必要となる。
だからこそ、最新の医療というものは、最新の民間療法に遅れている部分はある。
彼自身は、「机上の空論よりも、使えるものしか意味が無い」、と考えていた。
だからこそ、患者を見ない、ただの研究者には批判的で、その姿勢が元で手痛い目に合うことになる。