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「死」があるからこそ人生が充実する「DEATH 「死」はと何か」

人生は、「死」があるからこそ充実する。限りある時間に質のいい経験を得るため「死」が存在している。
充実した人生を過ごしたいなら、達成しやすい目標と達成しにくい目標を同時に持ち、生きることである。

こんにちは、けいごです。

私は仕事柄、「死」について考察することが多く、幸せな人生を送るためには、または提供するためには何ができるかを日々試行錯誤しております。
そのためにまずは「死」について知ることが重要かと考え、「DEATH 「死」はと何か(完全翻訳版)」という本を読み要約してみました。

本記事は、「充実した人生を送るためにはどうすればよいか」「充実した人生を送る手助けをするために、自分には何ができるか」と考えている方に読んでいただきたいです。


結論

本書の結論は「人生は有限だからこそ、質を追求して生きることが出来る」のであり、有意義な人生を送るには「達成しやすい目標」と「達成しにくい目標」を同時に持ち、生きることである。と述べられています。

以下にそれまでの過程をまとめていきます。

「生」とは何か?

まずは「死」の対比となる「生」についてまとめる必要があります。
「生」を構成するものの考え方には、大きく分けて二つあります。それは以下です。

・二元論
「生」を構成するものは「身体」と「魂」であるという考え方。

・物理主義
「生」を構成するものは「身体」という考え方。

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「魂」と聞くとスピリチュアル的なのでロジカル思考なスタンスの方はあり得ないと考えるかもしれませんが、人間の持つ「意識」や「感性」といったものはロジックで説明できない部分も多くあり、「魂」の存在は完全に否定できないのが現状です。
例えば「色を識別する方法」を、人間はどうやっているのかは説明がつきません。

著者のスタンスとしては「物理主義」的な立場で、特に身体の中でも「脳」=「私」であるという考え方をしています。
人間の「脳」が認知機能や身体機能を持ち、行動をしているという考え方となります。

「死」とは何か?

では、「死」とは何なのでしょうか。
死を述べる立場には3つの立場があります。それは以下です。

・魂説
「生」を「魂の存在している間」としているため、「魂は永久不滅、もしくはそれに近い」としている。

・身体説
「生」を「身体機能があること」としているため、「認知機能と身体機能が無くなったタイミングが死である」としている。

・人格説
「生」を「人格」がある状態とするため、「認知機能が無くなった(人格がなくなる)タイミングが死である」としている。

死

著者はここでも、身体説を主張しています。

魂説では、永久不滅の魂ですがそれを証明するものはありません。もし魂があったとしても、我々は前世の記憶はないです。
そして人格説では、死んだとしても同じ人格の持ち主が生まれれば、再び自分は存在できることになります。例えばナポレオンと同じ人格を持っていればその人はナポレオンということになるはずですが、実際はそうではないですね。

一方身体説では、「生」を身体機能と認知機能がある間としているので、死の説明が容易です。

「不死」は合理的でない

ここまで、「生」と「死」のそれぞれの定義についてまとめました。

ここで不死が合理的な場合についてまとめます。
それは「自分の記憶や経験が存在し続けられる時」且つ「目的や楽しさが永続的な時」です。

例えば、魂説の場合は身体が死んだとしても、魂が異なった身体に刷り込まれれば存在し続けられることになります。しかしもし仮に、身体がすり替わったときに今まで生きてきた経験や記憶などがリセットされるのであれば、永久不滅(不死)だとしても無意味に感じる方は多いのではないでしょうか?

更に、もし仮に記憶や経験の保持が可能であり、永久的に存在し続けられるとしても、その恩恵は楽しくないと考えられます。例えば、今現在読書が好きでも、それを500年続けていたらしんどくなりそうに思えます。

どんな「死」も悪い物ではない

先程「不死は非合理」と述べました。
それはつまり、「死は合理的」とも述べられます。

人間には死があり、それはある日突然やってくる死もあれば、老衰して長く生きて亡くなる人もいます。

多くの人はどちらも「悪い死」と捉えるのではないでしょうか?
しかしこれまで述べてきたように(身体説のスタンスから)、人には「死」があるからこそ、人生を全うしようと考えることが出来ます。

不死であれば永遠の生に対して何をすればよいのかが分からなくなり、苦痛が続くかもしれません。一方短命な場合はというと、数値的に捉えれば悪くないかもしれません。
それを下図で表します。

境遇 - コピー

縦軸を人生の順調度、横軸を寿命として表すと、その面積である境遇の良さは同じな場合があります。どちらの人生が良いかは、それぞれの価値観によると思います。

何をすれば充実した人生を過ごせるか

ここで冒頭で述べた結論に立ち返ります。
「人生は有限だからこそ、質を追求して生きることが出来る」のであり、充実した人生を送るには「達成しやすい目標」と「達成しにくい目標」を同時に持ち、生きることである。ということです。

人生が長ければ「沢山の経験を味わうことができ」、短ければ「楽しい時に(今後訪れる苦悩や苦痛を知らずに)亡くなることが出来た」と捉えることが出来ます。

しかしそのような充実した人生を送るにも前提があります。それは、人がそれぞれ「達成しやすい目標」と「達成しにくい目標」を同時に持ち、日々生きなければ充実した人生は送れないということです。

いつ死ぬのかわからないから、日々「達成しやすい目標」を達成しつつ、長期的に考え人生に価値をもたらす「達成しにくい目標」を持ちそれを達成するために生きる、これが最高の人生戦略です。

有意義

ここでいう「達成しやすい目標」とは、「達成することが事実上保証されている種類の目標」です。例えば、好きな食べ物を食べることや交際、映画鑑賞、ゲームなどの娯楽を日々行うことです。
「達成しにくい目標」とは、「人生におけるいいことのうちで際立って価値の高いもの」です。例えば、小説を書く、結婚する、起業して成功する、といったことです。

これらを織り交ぜて日々の満足度を高めつつ、大きな目標を追いかけることが充実した人生を送る条件となります。

書評

本書を読んで、やはり充実した人生を送るにも、条件はあるのかと感じました。
また、更に感じたことは、人生の終盤の人にはどのような「達成しにくい目標」を持てばよいのかを考えるのは、困難だということです。その点で本書は、若者向けかもしれません。

一方でどんな世代でも「達成しやすい目標」に関しては、比較的容易に導き出すことが出来ます。
その点で介護職としては、日々ご利用者様の「達成しやすい目標」を考察しながら仕事をする必要がありそうです。

そしてこれは、無限の命が非合理なら、無限のお金も非合理と似ている考え方です。このことから、尽きない欲望をかなえることは、不幸を招く可能性が高いです。
別の本ですが、面白いたとえ話を読んだことがありますので紹介します。
もし命が永遠に続くが、物理的には死ぬ可能性がある場合(車ではねられて死ぬ可能性はある)、人は死ぬのが怖くて外に出るのさえもためらうだろう。という話です。確かにそうだなと思いました。

これを捉え直すと、「人はどのリスクをとっても死ぬ可能性はある、ということが分かっていながら、そのリスクをとって様々なことをしている」といえるのかもしれません。

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