時代の魂を掴む -名作小説『ジャン・クリストフ』の面白さ
【水曜日は文学の日】
長い小説というのは、枝葉末節が沢山ついているからこそ、面白いものです。物凄く整合性の取れた大長編小説というのは、ある意味矛盾した語句であり、整合性がなくとり散らかっているからこそ、長くなり、面白くもなるものです。
ロマン・ロランの長篇小説『ジャン・クリストフ』は、そんな長編大河小説の一つであり、古臭く思われがちでも、いざ読んでみると色々と面白い発見のある名作です。
主人公のクリストフが酒浸りの父親と優しい母の元に生まれる場面から、物語は始まります。音楽の才能を見出され、父の厳しいレッスンを受けていくクリストフ。
やがて音楽家として独り立ちし、曲を創っていきます。既存の権力や聴衆にしばしば反発し、放浪するも、徐々に友人を得て、そして名声をも得ていきながらもどこか孤独なクリストフの生涯が、語られていくのです。
『ジャン・クリストフ』は、ベートーヴェンをモデルにした、音楽家の一生を辿る大河小説、とひとまずは説明できます。作者のロマン・ロラン自身が優れた音楽評論家であり、ベートーヴェンを敬愛していたこともあります。
ロマン・ロランは1866年フランス生まれ。音楽や文学に興味を持ちつつ、教員試験に合格し、高校の歴史教師として働きながら戯曲や評論を発表します。
33歳の時、『ベートーヴェンの生涯』を発表して反響を呼ぶと、1904年から1912年にかけて足掛け8年に渡って『ジャン・クリストフ』を執筆。アカデミー・フランセーズ大賞を受賞します。
1914年の第一次世界大戦では徹底して、反戦、戦闘中止を唱え、フランス国内での立場は苦しくなりますが、国際的には多くの支持者を持つことに。1915年にノーベル文学賞を受賞しています。
第二次大戦前でも、反ファシズムを貫き、一貫したヒューマニズムの立場の作家でもありました。1944年、78歳で亡くなっています。
ロマン・ロランと言えば、愛と正義と自由の作家。反戦を一貫して唱えたというその一生からも、日本でも大正時代や、旧制高校時代の若者や、若い作家たちの心を捉えていました。
そうした部分が、今となっては厳しく思える部分も、正直あります。『ジャン・クリストフ』の冒頭で
という、ロラン本人の言葉が掲げられているのも、ちょっと引いてしまう人はいるでしょう。
しかし、『ジャン・クリストフ』本編はというと、意外と俗っぽい部分が見え隠れしているのが面白い。
音楽評論家によって、コンサートの評価が左右されたりとか、パトロンと衝突したりとか。
クリストフがあからさまにベートーヴェンを模しているため、凄く不躾で感情的にキレまくるこの男を見ていても「まあ、ベートーヴェンだし」で何となく納得できたりするのは、作者の計算の内かどうか。
あるいは、少年時代の親友オットーへの、クリストフの親愛を超えた同性への愛情の言葉。ミンナ、アーダ、ザビーネ等恋人たちとの熱量高い交際。アントワネットは生い立ちまで語られつつ、弟のオリヴィエにバトンタッチされ、その彼は貧乏な時は良い詩人だったのに、お金が入るとダメになる等々。
そうした様々な人物を、三人称で語る作者は、公平に見つめる、どころではなく、しばしばクリストフに肩入れし、不正義に嘆き、怒る。自由な(傍若無人ともいう)クリストフを肯定し、猛烈な勢いで描写していきます。
とか
というような箴言風の決めフレーズも挟みつつ。
そういう部分を見ていると、これが20世紀に書かれた小説であることが、ちょっと信じ難くなってきます。
何と言うか、あらゆる意味で19世紀的な小説。NHKの連続テレビ小説で一年かけて放送するような内容というか、私は下村湖人の『次郎物語』を思い出したりします。
『ジャン・クリストフ』が出版された1912年は、カフカの『変身』が書かれた年です。1年後には、プルーストが『失われた時を求めて』の第一巻『スワン家の方へ』を出版。6年後にはジョイスが『ユリシーズ』を連載して大々的に言語実験を繰り広げます。
あるいは既に1904年には、ヘンリー・ジェイムズが大作『黄金の盃』で、超絶的に克明な心理描写を重ねた上での、透明な空間の表出を実現しています。
それらのモダンな小説が、作者の語り得ないような心理、時間、空間に手を伸ばして何とか描写しようとしているのに対して、『ジャン・クリストフ』は、しばしば語り手が知っていることを語って、人物を操作して、教訓を与えようとする。
あるいは、新しい人物が出てくれば、進行を中断し、その人物の来歴も挟んでいく(だから長くなる)。そういう部分が、古臭いと言えるのでしょう。要するに、昔話の語りなのです。
しかし、それゆえに、他にはない味が出てくるのも事実です。
つまり、これは19世紀のある種の夢、妄想、消えていった人々を、20世紀の始めに、時代錯誤を承知でまとめるような試みであったはずです。
描写というのは技法ではなく、語る対象の性質が求めてくるものでもあります。『ジャン・クリストフ』の題材でプルースト的な心理小説ができるかというと、結構難しい気もする。
プルースト作品は、ある意味、安定した19世紀末から20世紀初頭の貴族とブルジョワ階級が舞台だったからこそ達成できた、洗練された心理と時間の物語でした。
ベートーヴェンが生きた時代や19世紀半ばには、時代を変革する野心や理想、虐げられた人々等、モダンな描写では取りこぼしてしまうものが、沢山あったはずです。
21世紀が始まって四半世紀経った今でも、私のように20世紀に生まれた人間がいるように、時代が変わっても前の時代を生きた人々は残っている。ロランの小説の語りは、そうした部分を受け止めようとした、主観的な語りでもあるように思えます。
『ジャン・クリストフ』は、様々な欠点を持ちつつも、時代の全てを捉えようとする力強さを持つ作品であり、それは、この作品の一節が語るがごとく、一つの時代を生きた人々の「魂」があるから、と言えるのかもしれません。是非体験いただければと思います。
今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイや作品で
またお会いしましょう。
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