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【創作】カフカの自主映画【幻影堂書店にて】



※これまでの『幻影堂書店にて』

 
 
「これは珍しい作品だな」
 
ノアが本の間から、銀色の薄い缶に入ったフィルムを取り出して眺める。糊が剥がれている本の修復をしていた光一は、その手を見つめた。缶には、古ぼけたセピア色の紙が貼られて、そこには題名が書かれていた。
 

溶ける馬 フランツ・カフカ作


「カフカってあの『変身』を書いた、小説家の?」
 
「そう。彼が一度だけ撮った、撮影所製作ではないアマチュアの自主映画だ」
 
「そんな活動もしていたのか」
 
「実は、彼は映画の草創期と被っている人なんだ。映画は1895年に誕生しているからね」




フランツ・カフカは1883年、オーストリア・ハンガリー帝国領のプラハ、現在のチェコに生まれている。


フランツ・カフカ


大学卒業後、1908年に労働者傷害保険協会に就職し、早めに帰宅できた時間を利用して、小説を書いている。
 
1913年には代表作『変身』、『失踪者』等を書き、結核を発症するも、1922年には長篇大作『城』に取り掛かった。
 
しかし、療養空しく、1924年に40歳で亡くなっている。




「カフカの青春期の1900年代後半には、世界各国で撮影所のひな型が創られ始め、1916年には、グリフィスの歴史大作『イントレランス』が創られている。カフカも時折映画館に映画を観に行っていた。
 
うん、ここに説明書も付属しているね。カフカはある時お金持ちの男爵に会い、映画を撮らないかと誘われる。男爵は変わった人で、雑誌に載ったカフカの作品を読み、『観察』や『火夫』といった生前に刊行された本も買って読んで、才能を高く評価していた。
 
そして、男爵は映画にも興味を持って、撮影所からフィルムを集めていた。
 
全ての資金は男爵が出す、物語はカフカが考え、口出ししない。男爵を主演にすることだけが唯一の条件だった。
 
カフカは気乗りがしなかったが、製作費を気にしなくていいことに興味を惹かれ、短いシノプシスを書くと、プラハの男爵の屋敷で男爵の取り巻きや、カフカの友人たちと撮影を始めた。もっとも、大きな屋敷の冬の寒さには参り、男爵が借りていたプラハ市内の狭いアパートに移ることになる。
 
そんなアパートで一週間で撮られたのがこの映画だ。勿論表の世界では流通していない。この前貰った映写機で観てみようか」
 
「ああ、面白そうだ」

カフカが住んでいたプラハの家


物語は若い男が、アパートで食事をとるところから始まる。一人でご飯を食べ、街路を歩いて会社に行き、仕事をして、またアパートに帰ってくる。夕食は父親と母親と妹と摂り、ベッドに寝る。
 
次の日起きると、妹が起きて、先にパンを食べている。妹から、まるで、馬のような顔になっていると笑われて、男は鏡で自分の顔を見る。
 
男の顔は何も変わりがない(演じている男爵はどちらかと言うと丸顔)。しかし、男爵は妹の言葉に同意し、これは仕事に支障が出るだろうかと尋ねる。誰も気にしないだろうと言う妹の言葉を信じて職場に行ったが、確かにいつもと何も変わらない。
 
家に帰って、両親と妹と食事をとる。父親は息子の顔(朝と何も変わっていない)を見て「お前はとうとう馬に溶けたのだな」という。男はそれに頷き、涙を流す。そこで映画は途切れて終わる。




「どういうことなんだろう・・・」
 
「ここに説明書きがあるよ。元々カフカは『馬に溶ける男』というタイトルとストーリーを思いついた。しかし、馬の着ぐるみを着て撮影しても、滑稽で馬鹿げたものに見える。それで、全く撮影に馬を使わないように書き直した。
 
男爵は、着ぐるみでなければ、馬の剝製も使おうと考えていたので、いたく不機嫌になり、結局双方苦い思いをしたまま、この撮影は終わった。二人とも二度と映画に関わることはなかった。
 
カフカの友人あての手紙も付属しているね」
 

僕はあのフィルムという
人生をスライスにされたイメージが
耐えられません。
言葉でこう書くとします。
「男はある朝
馬と自分が溶けているのを発見した」
これをフィルムで再現すると
どうなるでしょう
耐えがたくグロテスクで
ナイフのように目を抉る
イメージになるでしょう
現実にはあり得ないのに
現実になってしまう。
映像とは僕にとって深すぎるのです。
言葉はイメージを表面で撫でて
くるんでくれる。
ハムのように薄切りになった人生よりも
ぎっしりと中身が詰まって
膨らんだパンのような言葉の塊の方が
僕には好ましく思えます。



光一は腕を組んで思案した。
 
「なるほどなあ。それで、見た目は何も変わっていないのに、変わったように感じているっていう方向に変えたわけだ」
 
「そうだね。この解説書には描いていないけど、恐らくこれは、『変身』のモチーフに繋がっていったんじゃないかな。

映像だと嫌悪感を覚えて陳腐になるものを、言葉だとそれを受け入れてしまう。それに、遠い場所の童話ではなく、自分の身の回りをリアルに描く、ただし中心の人物だけは何か変わってしまうというモチーフは面白いように感じたんじゃないかな。
 
この解説書によると、カフカは撮影終了直後の1912年の9月に一晩で一気に『判決』を書いている。
 
その作品では、自分の身の回りの家族をリアルに描き、でも最後は強烈な幻想の中で、父親との容赦ない関係がうずまいて終わる。
 
それからすぐ、朝目覚めると毒虫になっていたサラリーマンの男と家族のやり取りを描く『変身』が書かれるわけで、変化と幻想、それを見守る家族との関係という主題が徐々に変奏されているのが分かるね」
 
「結局映画をもう創ることはなかったけど、小説の刺激にはなったわけだね」


カフカと妹のオットラ


「そう、作品というものの背後には、それを創造するための、どろっとした塊のような思いやイメージみたいなものがあって、小説とか音楽とか映画とかの作品は、その塊を出力する蛇口のようなものかもしれない。
 
人によっては、その蛇口の形が合わないものもあって、ある形の時に、イメージが一気に出来て外に現れる。でも、別の蛇口を使ったことは決して無駄ではない。その背後にあるイメージは、同じなんだから」
 
「僕らがこうやって作品を読んで、体験して、しおりを集めているように」
 
ノアは笑い、映写機を片付けながら頷いた。
 
「そう。誰もが今そこにいる以上の過去のイメージや言葉を背負って生きている。表に現れる行動や言葉の水面下には、世界の様々な破片が溶けた世界が広がっている。
 
カフカにとっての小説のように、そんな世界を部分だけでも、ある日はっきりと見せてくれる作品と、それを味わう時間。そうしたものを求めて私たちはこうやって表の世界にはない時空の狭間のような場所にいるんだ」







(続)


今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイや作品で
またお会いしましょう。


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