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【エッセイ#42】 変化するヒーロー -デヴィッド=ボウイの傑作『ステイション・トゥ・ステイション』

 誰にも、心の中に自分のヒーロー(年齢性別問わず)がいます。神というのとは少し違います。神は信仰により、全てを信じなければいけない。
 
ですが、ヒーローは違います。ヒーローは時には熱狂するくらい格好良く、時には信じ難いほど格好悪い。全てを信じるには、あまりにも人間くさくて不完全です。
 
しかし、神は人を裏切ることはあっても、ヒーローは決して裏切りません。ヒーローは人間だからです。自分にとってのヒーローを持つことは、人間を信じることだからです。
 
その失敗も含めて信じるということは、ヒーローに自分を投影して、自分の指針にもすることになります。どんなヒーローを信じるかということは、自分の生き方を決めることでもあります。


 
デヴィッド=ボウイは、私の中の、何人かの最高のヒーローのうちの一人です。最高に好きな作品もあれば、そうではない作品もあり、そして、それらをまとめて、彼自身の生き方や存在のありようを信じています。

その「信じていること」を一言で言うなら、「変化をおそれない」ということです。


彼自身が多彩な変化を続け、新しい世界を何度も切り開きました。その都度、変わることはポジティブなことだというメッセージを発しながら。そうした佇まいこそ、私が心から身に付けたいものでした。だからこそ、彼を信じたのです。

そんな彼の中でも一番好きなアルバムについて、語りたいと思います。



ボウイはかなり遅咲きのアーティストでした。それでも、1967年、『スペース・オディティ』をヒットさせ、『チェンジズ』や、『ライフ・オン・マーズ』といった名曲を作ります。
 
そして、「ジギー・スターダスト」というペルソナを被り、ハードロックとSFを合わせたような、傑作アルバムを作ります。更に、そこに安住することなく、「ジギー」を辞めると、アメリカのソウル・ミュージックを取り入れます。


その後は、ドイツで電子音楽を取り入れた、深いヨーロッパの哀愁に満ちたゴシック・ロックを創る。


更に、80年代には、ダンスミュージックを取り入れ、『レッツ・ダンス』が全米ナンバーワンヒット。『戦場のメリークリスマス』等役者でも活躍します。

80~90年代はやや不調だったものの、ゼロ年代はかつての70年代のハードなゴシック・ロックをアップデートしたような力強いアルバムを発表。

そして、2016年の遺作では、当時最高の若手のジャズミュージシャンを起用し、ロックともジャズとも最早分類できない、暗黒の音楽を作り上げました。まさに亡くなるまで変化を続けたアーティスト人生でした。



 
勿論私は、一番有名な『ジギー』期のアルバムも好きなのですが、よく聞くのは、ソウル・ミュージックを通過して、ヨーロッパの哀愁を漂わせた、76年の『ステイション・トゥ・ステイション』と77年の『ロウ』です。

甲乙付け難いくらい、どちらも好きなのですが、最高傑作として、『ステイション・トゥ・ステイション』を挙げたいと思います。


 
このアルバムの一曲目では、「痩せた白人伯爵」というキャラが登場しますが、かつての「ジギー」ほど、厳密に決まっているわけではありません。

とにかく、全編に漂う、張りのあるロックのパワーと、曖昧かつ美しい歌詞、彼の深い声とシンコペーションの効いた心地よい歌唱が一体になって染み込んできます。
 
一曲目の『ステイション・トゥ・ステイション』。列車の警笛を思わせるSEから、長く重いイントロが来ます。やがて、のたうち回るように、「痩せた白人伯爵」が帰還したこと、愛する者への思索が物凄い緊張感で歌われていきます。

 
列車が加速するように、どんどん音楽は加速していきます。そして、「遅すぎる!」とコーラスをかけながら、ファンキーに疾走する山場へと、切れ目なく雪崩れこんでいく。叙事詩を読んでいるかのような、素晴らしい高揚感、素晴らしいパワーです。10分を超える作品なのですが、全く飽きません。


 
この大作に続く二曲目『ゴールデン・イヤーズ』は、リズムもメロディもなんと、ドゥーワップナンバー。しかし、ノスタルジックな感じはなく、良く粘ってポリリズムを創り出すリズム隊に、言葉をひたすら詰め込み、モダンに処理しています。


「蔭へと走るんだ 黄金時代を」と、謎めいたリフレインがありますが、歌詞をよく聞けば、おそらくは、ここでも恋人を信じることへの逡巡が歌われています。
 
そして、三曲目『ワーズ・オン・ウイング』は、美しいピアノのイントロから、一筋の光が差すかのような暖かみのあるメロディで、感動的に歌い上げられ、「明るいバラード曲」というべき、美しい曲になっています。そして、歌詞もまた、愛する人を信じ、自分が生まれ変わることを示唆しています。



ここまでが、レコードのA面にあたりますが、後半もまた、明るいダンサブルなナンバーと、哀愁に満ちて歌い上げるバラードが交錯しています。
 
いえ、ここでは、そうした二面性が全て溶け合っているような感触があります。スローな曲でも、粘りのあるファンキーなリズムと、細かく譜割りされた歌唱が根底にあり、ファンキーに聞こえる。

アップテンポな曲でも、隠し味のような哀愁や、重いリズムによって、軽薄さはなく、バラードのような暗さを感じさせます。暗くて明るい、ファンキーでメロディアスという、あらゆる対立する要素を溶かすかのような音楽。

そこに、曖昧で神秘的な歌詞が最高にロックした歌唱で歌われることで、巨大なパワーを持った、全く未知の音楽が誕生したかのようです。



面白いのは、このような大傑作アルバムなのに、ボウイ自身が、うまくコントロールできなかった作品でもあるということです。

この頃のボウイは重度のコカイン中毒になっており、なんと、どのようにレコーディングしたか、思い出せないといいます。おそらく、自分がどこにいるのかも分からない状態で曲を創り、レコーディングしていたのでしょう。
 
そうしたコカイン中毒状態から抜け出すために、彼はアメリカを出てドイツに渡り、『ロウ』、『ヒーローズ』、『ロジャー』という「ベルリン三部作」と呼ばれる傑作アルバムをクリーンな状態で創ることになります。

そこでの協力者は、名プロデューサーにして、アンビエント音楽の創始者でもある、ブライアン=イーノです。「ベルリン三部作」の深い漆黒の音像は、彼の貢献も大きかったとボウイも認めています。



しかし、『ステイション・トゥ・ステイション』のエンジニア兼プロデューサーは、どちらかと言えば、オーソドックスな、「売れる」音作りをするハリー=マスリン。バニー=マニロウや、ディオンヌ=ワーウィックといったブラック・ミュージックのアーティストをヒットさせていました。つまり、音作りはアメリカンなのです。
 
そうした状況が、このアルバムにはプラスに作用しています。つまり、この作品自体が、変化の途中で結晶となった作品です。

下半身はアメリカンなファンキー・ソウル、しかし、上半身は暗いゴシックな、ヨーロッパの香り漂うメロディと歌詞。そして、ボウイ自身が、自分を見失ったからこそ、そうした変化が生のまま、無意識の状態で記録されたのだと思います。




そう、そんな本人がヘロヘロな状態でも、ヒーローは信じるに値するのです。だって、「変化を恐れるな」と言ってくれたのは、ボウイ自身なのですから。
 
そうした彼のメッセージが素晴らしい映像と音楽の洪水で綴られたドキュメンタリーとして、『デヴィッド・ボウイ ムーンエイジ・デイドリーム』も挙げたいと思います。

私は、このヒーローの生き方、メッセージ、音楽を自分の中に刻み付けるために、何度も彼のアルバムを聞くでしょう。そんな自分にとって信じることのできるヒーローを持ち続けることが、善く生きることなのだと、私は信じています。『ステイション・トゥ・ステイション』は、そうした私の信念の中でも、核の一つとなる、美しい作品なのです。


今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイでまたお会いしましょう。


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