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秘密のアート基地、貴石修復所 *n.4
L'Opificio delle Pietre Dure - via Alfani Restauro
貴石・石彫刻・ブロンズ・陶器磁器
修復所の母屋では、前回案内した貴石類以外に、ブロンズ製のもの、石に関わるもの、陶器や磁器類と、分野ごとに部屋が区切られています。
ブロンズの修復
ドナテッロ
ブロンズ部門に訪れてみましょう。
今年の春夏にフィレンツェで開催されたドナテッロ展。初期ルネッサンス時代に活躍した芸術家で、ミケランジェロに多大なる影響を与えています。
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ドナテッロ展のために、シエナの洗礼盤に装飾されたパネルが外されました。
展示会がある
↓
もとの場所から取り外される
↓
作品のリサーチと修復をする
この流れで、パネルは貴石修復所へ入り、修復されたものは、展示会でお披露目されます。
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ブロンズに金の塗料を施していますが、当時は、熱した水銀で糊付けし金箔を貼り、めのう石で表面を磨き光沢を出していたそうです。
水蒸気とレーザーで汚れを落とすそうですが、修復前後では、金の色が違うのが良く分かります。
横から見ると、こんなに凹凸があり立体的です。表情が豊かで、装飾も細かく、臨場感があります。彫刻の遠近法を確立したドナテッロ、ここにあり。
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否定できなかったヘロデ王に
お盆に載せた首を見せているシーン。
シエナの洗礼盤のパネルは6枚あり、まだ修復中のものが、ドンと置かれています。パネルの実物はとても大きく、一片は両手を広げたくらいあります。当然のごとく重く、5〜6人いないと運べません。
壊したら大ごとです。修復中も倒れないように、オリジナルの木組みを作り、固定してありました。
ブロンズの修復法
貴石修復所が担当した仕事ではありませんが、最近、ミケランジェロ広場に立つダヴィデ像の修復を終えました。
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修復する前は、こんな風に青みがかった色でしたが、修復後はマットな濃い緑色に仕上がっていて賛否両論。見学者から、質問が出ました。
あのダヴィデ、どうしてあんな緑になっちゃったの?
みなさんは修復をするのに、どれだけの費用がかかるかお分かりですか?修復するための足場を組み、機械を持ち込み状態を検査し、実際の修復を行い、終えたら足場を撤去する作業、すべてが費用に含まれます。
フィレンツェには修復すべき作品がたくさんあり、いつ、また順番が来て、修復されるか分かりません。
そこで、修復をするときは、しばらくは修復せずに済む状態にしておきます。
ミケランジェロ広場にあるダヴィデ像は屋外にあるので、風雨に晒されますので、最終仕上げに、ブロンズが呼吸ができ、かつ、雨水にも耐えられる特殊な塗料を施すことにしたのです。
なるほど、ちゃんと理由があってのことなんですね。わたしも、あの緑色には納得がいってなかったので、説明をして頂いて腑に落ちました。
彫刻の修復
アントニオ・カノーヴァ
アントニオ・カノーヴァという1700年後期から1800年初期に活躍した芸術家をご存知でしょうか?
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参照:Wikipedia
カノーヴァはベニス近郊で生まれた芸術家で、代表作はルーブル美術館所蔵の「アモールとプシュケ」ではないでしょうか。どこから見ても、完璧な甘美な世界。
修復所では、ボローニャ美術館所蔵になっている、カノーヴァの作品を修復していました。
チンチナート・バルッツィという、ボローニャ出身の彫刻家が、師匠であったカノーヴァの4つの作品をパリで見つけ、購入し、邸宅へ置いていましたが、バルッツィの死後に、ボローニャ市へ寄贈されます。
ローマで製作したとされる作品が、どういう過程でパリへ移り、バルッツィのボローニャの邸宅に辿り着いたのか、散在している文献を探し調査し、2013年に、やっとカノーヴァ本人の作品であることが証明されたそうです。
美術史のひとつとして完結せずに、歴史が続いていることを感じさせるエピソードです。
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上の写真は、どちらもヴィーナスの彫刻。左はウフィツィ美術館に展示してあるメディチ家のヴィーナス。右はパラティーナ美術館のヴィーナスで、カノーヴァの作品。
ナポレオンがメディチ家のヴィーナスをパリに持ち去ってしまい、その代わりにと、カノーヴァのヴィーナスがフィレンツェに贈られました。
が、のちにメディチ家のヴィーナスが戻ってきたので、フィレンツェは、2体のヴィーナスを所有しています。さぞ、ラッキー!と思ったことでしょう。
当時の彫刻は、360度全方向から鑑賞されることを前提に製作されています。そこで、カノーヴァは、大理石で円球を何個か作り、2枚の台座の中間に円球を嵌め入れ、ぐるりと回る仕掛けを作っていたそうです。すごいですねぇ〜。
今回の修復のポイントは、艶出しの研究。大理石の粉末か、鉄製の道具を研いた水を使ったのか、どちらが使われたのか調査中でした。後者は鉄分を多く含んでいるので、艶出しにも使われていたそうです。
ジョヴァンニ・ピザーノ
もう一体は、マルゲリータ・ディ・ブラバンテ(MARGHERITA DI BRABANTE)(英語ではマルグリット・ド・ブラバン)という、ジェノヴァ美術館所蔵の作品。
二人の天使が前かがみになり、一人は背後から支え、一人は両腕で抱きかかえ、ペストでむくんだ聖女マルゲリータの亡骸を起こし、天国へ旅立つ場面。「わたくしをどこへ連れて行くの?」とでも言いたげな、聖女の前を見据える表情はドラマチックで舞台のワンシーンのようです。
いつの時代に作られたものでしょう。
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1300年初期。
ルネッサンス時代の100年前です。なんというモダンな着想でしょう。
ジョヴァンニ・ピザーノにより製作されました。
ジョヴァンニ・ピザーノは、ピサやシエナの大聖堂の説教壇を製作した、この時代のスーパースターです。
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マルゲリータ・ディ・ブラバンテは、1308年にローマ王に選出されたルクセンブルク伯ハインリヒ7世と結婚し、ローマ王妃となりますが、滞在先のジェノヴァでペストに罹り36歳で他界します。
愛する妻を亡くし、ハインリヒ7世は嘆き悲しみ、ルクセンブルクまで亡骸を運ぼうとしますが、亡くなった直後から奇跡が起き、ジョノヴァの民衆は彼女の亡骸を手放したくありません。
そこで近くの教会に埋葬することになり、彼女の墓碑をジョヴァンニ・ピザーノに依頼したのです。
1700年後期に墓碑のある教会は壊され、教会にあった作品は競にかけられ、消息を失ってしまいます。その後、とある邸宅の庭園に置かれていることがわかり、現在はジェノヴァの美術館所蔵になっています。
修復所では、大理石の状態を超音波やX線で調査し、3Dスキャナーを利用し、復元を試みています。
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ジョヴァンニ・ピザーノのヴィーナス。
ピサの説教壇より。
もしこの作品を美術館で見たら、一瞬立ち止まっただけで、通り過ぎそうですが、説明を聞いた後では、死別したご夫妻や、彫刻家の思い、紆余曲折を経て奇跡的にいまの時代まで生き抜いた作品に、思いを馳せてしまいます。
1秒、1分の積み重なりが、結果的に700年という月日に至り、これからも存在し続けるであろう、長い長い物語です。
ただ通り過ぎるだけの、ひとつひとつの芸術作品には、その時代に生きていた人間の物語も秘めています。
作品の背景にある物語を知り、作品を調査し、健康な状態で後世へ受け渡す、修復という作業は、神の手のようです。
わたしが参加したグループは、定員20名のうち、半分以上が高校生で、先生が引率していました。修復師の話しを真剣に聞き、質疑応答も盛んで、1時間の予定が、気がついたら2時間も経過していて、びっくり。
もしかしたら、この見学をきっかけに、参加した生徒から修復師が誕生するかもしれませんね。
どうして貴石修復所が、貴石だけでなく、ほかの素材のアートも修復するようになったのか?
フィレンツェに残る、ある爪痕が、きっかけです。
貴石修復所シリーズの最終回です。
次回もお会いしましょう。
最後までお読みくださり
ありがとうございました!
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