ワラーチ岡田亭
糖尿で即死?〜生還物語〜 青空リフレ 2020/05/22 21:16 ストレス社会で当たり前に戦っていたら糖尿で死にかけてしまいました。 手を尽くしても思ったように改善しない病状が、薬ではなく「一束のワラーチ」と出会う事で、みるみる回復しました。 その時の様子を残そうと思います。 この記事が誰かの役に立ったなら幸いです
『身体を動かすための動機づけが大切』 要介護にならないために大切な要素の一つ 無理なく身体を動かす習慣❗️ 刺激のある生活❗️ 役割がある生活❗️ などなどありますが、「身体を動かしましょう」と言われても運動が趣味でもない限り結構難しいのです😓 ケアマネなども頭を悩ますところです。 「動く意味や必要がないからね」と言われてしまうと、、、仕事があるわけじゃない。男性は家事をする機会も少ないし😕 体が動くためには心が動かなきゃ‼️と誰かが言ってたような⁉️ 身延岡田亭を手に入
前回の投稿で身延で生きる理由は書きましたが… 今のお仕事を辞めるのは良い物件が見つかり自分らしく生きるためであり、今のお仕事に不満があるからではないと思っていました。 今までの人生でも転職経験があり、常に今よりも良い環境を目指していたので『理想を追い求めて』ポジティブに!が転職の時に大切にしていることでもありました。 転職を決めて1年、次の仕事ではいっさい福祉関係の事業は入れておらず、天職とまで思っていた介護の仕事からなぜ離れようとしているのか? もう一度考えてみた…
ノンストレスにこだわり過ぎてストレスになりそうな岡田亭の番頭ことトーチャンです😆 これからの岡田亭の活動拠点となる「山梨県身延町」の物件を手に入れたのは去年の話❗️ 《どうして身延なの?》 という質問にお答えします ・身延の山と川(風景)に一目惚れ ・東京からの絶妙な距離 ・山梨の素晴らしい山や富士山周辺へのアクセス ・日蓮宗総本山久遠寺の存在 ・農地もついている物件(元民宿) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 初めて身延を訪れたのは150万円の古民家が空き家バン
《糖尿病のお話‼️》は必ず長文になる🥰 (写真は関係ありません😆) 本日は糖尿病専門クリニックの受診日 (2ヶ月に一度) この所、毎日晩酌してたし、訳あって異常な忙しさで目がまわるしで「さすがに数値も悪くなってるかな❓」と心配しながらでしたが、結果は改善‼️安定‼️というものでした。 現在薬の力を頼っていることもありますが、いちばんの薬は『ストレスフリー生活』にあると思っています。 断捨離もその一つですが、何を大切にして何を捨てるのか😕全力でやりたい事の為に使う労力はどれ
近年、ストレスが社会問題となっており、ストレスフリーな生活を送ることが求められています。本記事では、ストレスの原因や影響、そしてストレス解消の方法について解説します。具体的には、仕事や人間関係などのストレスの種類や兆候について解説し、さらにストレスを軽減するための心理的なアプローチやエクササイズ、リラクゼーション法などを紹介します。また、日常生活に取り入れやすいストレス解消のテクニックや習慣についても触れます。ストレスを感じている人やストレスフリーな生活を送りたい人にとって、
春の嵐 相変わらず数値も変わらず、毎日皮下注射、、、 仕事に明け暮れ週末のサッカーとボクシングが楽しみで、子供達のサッカーも楽しみの一つ! 今日も子供のサッカーの送迎❣️ 『たまには練習でも見ていようかなー』 グラウンドの脇にいると、、、 大砂嵐(相撲取りじゃないよ😆) とても見てられないから車に避難🚙 車で待っていたけど、、、2時間暇😅 スマホをいじりながら思い出す📱 『、、、ワラーチは自作できます😳』 2時間待っててもしょうがないので、休みの暇つぶしに近所のホームセ
だんだんと暖かくなり、日も長くなってきました。 春はもうそこまでやってきてます。 3月は年度末であり、一年を振り返ることも多くなります。 忙しいですね^ ^ 今日は、私はほとんど過去を振り返らない!と言うお話をさせていただきます。 お時間の許す限りお付き合いください😊 ・過去を振り返らなくなった訳 5年前になりますが、糖尿病で死にかけたんです。 そこから糖尿病が完治するまでに回復しました(その話はまた別で、、、) 今思うと本当に生きてて良かったーなんです。 バカは死に
決して自殺願望などではありません 何かの宗教的なものではありません #誰も心配してないよ正しく生きたい!ではなく死にたい❗️と思う。 どんな道を歩いても、お金があっても無くても必ず最期が来る。(すごく当たり前な事) 長生きしたいとか、早く死にたいとか、そんなことも考えたくない。 いつか来るその日をすごく普通に受け入れたい。 受け入れるためにしなくちゃならない事がたくさんある気がする!漠然とだけどそんな気がする。 そして、それは時間がかかる事で早く始めなきゃいけないしもする
テレビ番組でMISIAが話していた 「1オクターブの中の12音階の世界だけにいて欲しくない」 凄くこの言葉が刺さりました。 どんな意味かと言うと、ピアノは1オクターブの中の音の数は12音なんだけど、それはピアノの世界であって、音と音の間の音!さらにその間の音!もっと広い世界で音を楽しんで欲しい。 そう、この決まった音の上に乗る気持ち悪さ。 そう俺はどこにいても、誰といても居心地が常に悪かった。自分の居場所ではない。人のうちにお邪魔している感じ。 10年以上勤めて、運営サイ
すっかり、スッキリ出世を放り出しました! 岡田 泰之 です。 私がここ数年で感じた事。それによって考えが変わり、現在の行動に至ったお話です。 スタイルや人生設計は人それぞれ、誰かの何かの参考になれば最高です。(自分が今の気持ちを忘れないための記録です) では早速、私は数年前に糖尿で死にかけてます(一度死んだ様なものです)この話は別に書きためているので、読んでみてください。 そんな中、トレイルを歩いたり走ったりする様になるのです。 今までの私は、承認欲や支配欲、出世
働き方改革? 難しい事はわかりませんけど、主任を降りようと思います。 私の周りには(特に職場)仕事は頑張って出世した方が良い!お金もそれで稼いだ方がいい! と考える人が多くて、、、せっかく主任になったのに勿体ないと思うようです。 「なんで降りるの?嫌になったの?辞めたいの?」 と全く理解してくれません😭 私からすると、現場仕事は好きだけど、管理監督は違う仕事になってします(野球やるのが好きなのとチーム運営は別でしょ) さらに、一生続けていきたい!と思えるセカンドクリエイタ
下がらない 仕事の環境が変わり、更に忙しくなった。 毎日の皮下注射(自分で打つ)を継続し症状はおさまっている。 毎日の血糖値測定も慣れてきたけど、数値がいまいち下がらない。 食事は朝はパン、昼は豆腐と納豆、夜は炭水化物を減らしてはいるけど晩酌は毎日していた。 「下がらない」 血糖値もhba1cも、体重もあるところから全く下がらなくなってしまった。「このまま悪くなったら入院するのかな」なんて思いはじめていた。 これ以上の頑張りは仕事も含めて無理だと思っていた。 病気の恐怖
更なる環境の変化 糖尿病が発症する数ヶ月前まで、介護職として直接ケアをしていました。 夜勤もあるハードと言われる仕事を「天職だ」と楽しんで出来ていました。 そこからケアマネジャーというマネージメントをする仕事に変わり(つまらなくはなかったけど)数ヶ月で死にかけてしまいました、、、 とはいえ薬のおかげで数値も安定、制限はあるけど生活は取り戻せた。 そんな中更なる環境の変化が起こる。新しい施設のケアマネジャーになることになった(理由はたくさんありすぎて、、、) この環境の変化
5.回復 薬は劇的に効果が見られた。おしっこを漏らすこともなくなり、回数も減った。二週間も経てば以前と変わらなくなっていた。 もちろん薬だけでなく食事療法も合わせて行った。 この時に心の支えになっていたのはサッカーだ。 糖尿が悪化した時も休むことなく参加していたのだが、5分とプレーできず、足がつりめまいがして残り2時間を椅子に座って見学することが続いていた。 回復し始めて、まだまだ以前と同じとは行かないまでも、走れる。ボールが蹴れる。30分…1時間とみんなと一緒にサッカ
4.受診 ここまで症状が出ていたのになぜ病院に行かなかったのか。それは、健康診断の結果を待っていたからだった。検査結果が正常値な訳はないのだから、産業医に見てもらってどこかの病院を紹介してもらおうと考えていた。 ただ今回に限って結果が出るのがいつもよりも二週間ほど遅かった。その二週間で一気に悪化してしまう! 検査結果は、、、要精密検査のオンパレード!大きな総合病院に紹介状を持って受診した時には意識も朦朧としている状態だった。 やっと重い腰を上げ、紹介状を持って総合病院へ…
3.異変 春の健康診断の頃、夜トイレに目が覚めるようになった。「歳のせいかな?トイレが近くなったな」程度に思っていた。しかし、トイレの回数はだんだん増え、昼間も何回も行くようになる。量も多い。最終的には五分と我慢できずに漏らしてしまうようにまでなる。この頃にんると前立腺の病気を疑うようになっていた。 まだ、糖尿だとは全く思わなかった。 トイレにそれだけ行けば喉も乾く、水分が多くなる。最終的には毎日8リットルは飲んでいたと思う。 これだけ飲んでも口の渇きは全く治らない。 口渇