変えられない過去、変えられる未来
学生のときに抱いた「死にたい」という気持ちは大人になった今でも消えることなく抱き続けている
小・中といじめに遭って、中2のときには学校で自殺したいと毎日思っていた
教室が3階にあったものの、飛び降りても死ねないことは分かっていた
でも、ほぼ毎日のように廊下から見下ろしていた
通っていた中学校は地元でもマンモス校と言われるほど生徒数が多く、部活もなかなかの強豪校だった(通っていた当時)
普通に1クラス35人とかいて、それが全学年8クラス
にぎやかな声が響き渡っていた学校が、自分にとっては苦痛の場でしかなかった
逃げ込める場所なんて保健室くらいしかなく、教室はまさに地獄の空間だった
一度だけ、母親に「学校を休みたい」とお願いしたが、受け入れてもらえず学校へ行くしかなかった
精神的にしんどくなったときに行ってた特別教室もあるにはあったが、居れるのは授業時間だけ
それ以外は教室にいることしか出来なかった
学校とは
自分にとって学校は苦痛の建物でしかなかった
毎日、通学路を通っていく道のりが嫌で嫌で、着いても自分が過ごせる居場所なんてどこにもなかったし、逆に何で行かないといけなかったのか今でも分からない
中3の時に体調を崩して、熱と嘔吐の症状があったにも関わらず母親は学校を休むことを許さなかった
自分が仮病を使っていると思ったのだろう
幸い、午前だけの授業だったのですぐに帰ることが出来たが、今でも母親の行動を許すことが出来ない
というよりも許したくない
もし、自分だけじゃなく弟や妹が「学校に行きたくない」と言ったら、母親はどう返しただろうか
自分が将来、子供に「学校に行きたくない」と言われたらどう返せばいいのだろうか
大人になった今だから言えること
学生時代は荒波に揉まれながら生きてきた自分が、今だから言えることは
無理して学校に行くべきではなかった
という事だろうか
時代が変化するにつれて、フリースクールなど様々な居場所が増えつつある
けれど、今でも「学校に行きなさい」という考えはあると思う
そこまでして学校に行くことが美しいことなのか?
学校に行って得することはあるのか?
校則や制服、いろいろな縛りがありすぎて逆に苦しめていることを先生たちは知っているのだろうか?
いろいろと言いたいことがあるけれど、過去の自分に対して言いたいことがあるとすれば
「行きたくないときには行かなくてもいい」という事だろうか
自分は中高と皆勤賞をもらったけれど、何も嬉しくなかった
もらって得する事なんてなかったし、休みたいときには休むこともいいのではないかと思う
自分はただ単に話を聞くことしかできないが、強いて言えるなら無理に行かなくてもいいよという事かな
ありがたいことに、実家近くの中学校で子ども食堂の手伝いをさせてもらっている
その時に中学生の生徒と話す機会があり、そこで
「いつでも話を聞くからね」と伝えている
先週、子ども食堂の手伝いに行ってきて、中学生の子たちと接する機会があった
みんな笑顔が輝いていて、自分の時とは全く違っていて羨ましいと感じた
今が楽しいと言っていた生徒もいて、学校生活を楽しめている時間が戻ってきてほしいと少し悲しくなった
どうしても、今と自分の時とを比べてしまうあまり悲観的になってしまうこともある
それは変えることのできない事実
でも、自分がこうだったと伝えることは出来る
つらい時やしんどい時に頼れる場所があるんだよと言えることが出来る
子ども食堂の手伝いをしたことで得られたことがたくさんあったし、元気をもらえた気がした
自分の持ち場で少し頑張ってみようかなと感じた
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