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五行詩は短詩だけど俳句や短歌に比べて規則もないのでもっとも作りやすい詩かもしれない。目指せ五行詩の芭蕉? 五行詩だけでなく他の多行詩も加えました。
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2024年8月の記事一覧

シン・現代詩レッスン50

シン・現代詩レッスン50

ボードレール「されど満たされぬまま」

今日はボードレールの「ジャンヌ・デュヴァル詩篇」から。ジャンヌ・デュヴァルはボードレールのミューズ(詩神)となった娼婦で混血の奴隷出身の娼婦と言われるがボードレールが植民地の女王のように崇めたことで知られる。しかし、それはボードレールのフランス語であって彼女の言葉ではなかった。彼女には言葉はなかったのだ。芳香に漂う身体とボードレールの欲望を満たすヴァギナ意外

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シン・現代詩レッスン48

シン・現代詩レッスン48

ラングストーン・ヒューズ『七十五セントのブルース』

ラングストーン・ヒューズは二回目だった。それも同じ詩。寺山修司も好きなんだろうけど、自分も好きなのは口承性の言葉とそのリズムなのか?ブルースらしいのかどうかは翻訳だからあまりよくわからない。三連符とかAABA形式とか。

AABでAがないけど多分繰り返すことで歌として成立しているのだろう。二番目の「ね」「ってんだ」というのがぶるーすっぽさかな。

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シン・現代詩レッスン47

シン・現代詩レッスン47

中野重治『歌』

敗戦後桑原武夫の『第二芸術』論を受けて書いたのだと思ったが、中野重治が書いたのは戦前からだった。『斎藤茂吉ノート』で茂吉短歌との決別、そのあとに『歌のわかれ』でプロレタリア文学に目覚める。そういうことだから桑原武夫を受けてではないが、内容は似ていると思う。韻文の叙情性よりも散文の論理性みたいなもの。しかし『歌』は「歌のわかれ」ではないのだ。逆説的に歌を歌っている。

誰もが知って

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シン・現代詩レッスン46

シン・現代詩レッスン46

峠三吉『原爆詩集』

毎年のように行われる「平和の式典」もいいのだが先日ナチスをパロディ化する映画を観て、そろそろ日本もそういう映画が出てもいいのではないか?と思った。

『はだしのゲン』の実写化はそれに近かったのだろうか?

例えば泉鏡花の『夜叉ケ池』での妖怪たちの行進という形で広島巡礼に行くというのはどうだろうか?

峠三吉『原爆詩集』は序から始まる。そのコトバはひらがな書き(原民喜の原爆後の

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シン・現代詩レッスン45

シン・現代詩レッスン45

ウィリアムス・カーロス・ウィリアムズ『パターソン』

映画『パターソン』の詩人なのだが、詩『パターソン』は映画と違って日常の些細なことを抒情詩としたのではなく、アメリカの「パターソン」という土地から神話的「地霊」を探る長編詩(叙事詩的な)ものを謳っている。ではその「地霊」とは何かというとメルヴィル「白鯨(モビィ・ディック)」というようなアメリカ人が求めてやまない闘争の精神によって、失われ行った原住

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シン・現代詩レッスン44

シン・現代詩レッスン44

アレン・ギンズバーグ

『百人一詩』は前回書いたように40人目で尽きた。今日から新たな詩を探索していくことになる。

そして、最初にやるのがビートニク詩人のアレン・ギンズバーグだった。ギンズバーグはケルアック『路上』で知ったのかな。その時はあまり関心がなかったが。つづいて大江健三郎『『雨の木』を聴く女たち』の小説に出てきたと思う。大江健三郎が大学のセミナーかなにかのディスカッションで一緒になり、鬱

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シン・現代詩レッスン43

シン・現代詩レッスン43

+百人一詩つづき

番号修正した。現代詩は百人までやってなかった。今のところここまで。

31 エドガー・アラン・ポー「アナベル・リー」

ポーはボードレールがポーの「大鴉」から象徴派になったり、大江健三郎がポーの「アナベル・リー」から『臈たしアナベル・リイ総毛立ちつ身まかりつ』を書いたり(ナボコフ『ロリータ』もそうだった)、

32 エミリー・ディキンソン「小鳥が小道をやってきた」

鳥の詩は多

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シン・現代詩レッスン44

シン・現代詩レッスン44

キムジハ(やっぱカタカナ書きにする)は詩的暴力=風刺で独裁者を笑って闘うという詩人だったという。最初の代表作「五賊」は、韓国を日本に売った売国奴をウルサ保護条約(乙巳保護条約=日本と結んだ不平等条約)に調印した大臣を「乙巳五賊」と詠んだことから1970年代の現代版「五賊」を詩にしてパロった。

かなり描写力があるような。それだけ権力者を観察しているということだろうか。日本だとなかなかここまで観察出

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