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シン・現代詩レッスン43

+百人一詩つづき

番号修正した。現代詩は百人までやってなかった。今のところここまで。



31 エドガー・アラン・ポー「アナベル・リー」

ポーはボードレールがポーの「大鴉」から象徴派になったり、大江健三郎がポーの「アナベル・リー」から『臈たしアナベル・リイ総毛立ちつ身まかりつ』を書いたり(ナボコフ『ロリータ』もそうだった)、

32 エミリー・ディキンソン「小鳥が小道をやってきた」

鳥の詩は多い。中島みゆきじゃないけど、「昔、人は鳥だったのかもしれない」。鳥という象徴は詩人にとって様々なものをイメージするようだ。ただディキンソンの場合は、小鳥でも虫を食べて生きているというそこに生食のイメージと死が介在するのが特異だった。また日常の風景のようにさっと書いているのも日本の俳句や短歌のようにも読める。


33 E・E・カミングス「時まさに」 

カミングスもパウンドと同じように俳句から影響を受けたアメリカの詩人だが、カミングスの方法論のほうが前衛的で自由な感じがするのは、あまり精神的な方に行かないで俳諧的なのがいいのかもしれない。


34 ウィリアム・カーロス・ウィリアムズ「ちょっと一言」

ウィリアム・カーロス・ウィリアムズは映画『パターソン』の詩人。日記のうよに日常的に詩を書く詩人だった。『パターソン』は映画とは違って土地の名の長編詩で産業都市の衰退を描いていた。地霊というアメリカの埋もれてしまったものの姿か?ウィリアムズの詩の方は町医者ということで本人と同じ。映画の方が変えてあった。


36 阿部公彦『詩的思考のめざめ: 心と言葉にほんとうは起きていること』


阿部公彦の現代詩のエッセイか?


37 萩原朔太郎「地面の底の病気の顔」

先に上げた阿部公彦『詩的思考のめざめ』で朔太郎が取り上げられていた。やっぱ朔太郎は好きな詩人だった。


38 伊藤比呂美「きっと便器なんだろう」 

この詩も阿部公彦『詩的思考のめざめ』に出ていた詩で、解説を読んで凄いと思った。もう題名から凄いのだが。


39 西脇順三郎「馥郁タル火夫ヨ」

西脇順三郎は日本の現代詩のモデルとなるような象徴詩からシュルレアリスムを通って俳諧精神へと理想とする詩人だった。。


40 キム・ジハ「五族」

キム・ジハについては批評本とか読んで一筋縄ではいかないのだが初期はやっぱいいかな。


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