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シン・現代詩レッスン45
ウィリアムス・カーロス・ウィリアムズ『パターソン』
映画『パターソン』の詩人なのだが、詩『パターソン』は映画と違って日常の些細なことを抒情詩としたのではなく、アメリカの「パターソン」という土地から神話的「地霊」を探る長編詩(叙事詩的な)ものを謳っている。ではその「地霊」とは何かというとメルヴィル「白鯨(モビィ・ディック)」というようなアメリカ人が求めてやまない闘争の精神によって、失われ行った原住民の神話的な「地霊」というような、それがアメリカの産業資本主義によって蝕まれていく詩なのだった。
その継承としてチャールズ・オルソン『マクシマス詩篇』を上げているのだが、それがわかりやすいかと。
二
おれはそこの生まれではない。多くの住民と同じように
他からやってきた。つまり親父が、ということだ。すぐ近くに村からでも、
ニューファウンドランドからでもなかった。でも、来たのは結構は早かった。
アメリカ大陸へ渡ってきたのはピューリタンが信仰のためにというのが歴史書などに書かれているが、漁場を求めてやってきた漁師もいたという。その生活の産業が大資本化されて漁場やアメリカ大陸の沿岸を蝕んでいき、「パターソン」のような都市になるのだった。その入植民の子孫だということである。
俺は東京の生まれでも大阪の生まれでもない。
多くの在日と同じように半島からやってきた。それは島の場合もあるのだろう。俺の親父はそれより早かった。
在日韓国人の詩にしてみた。島は済州島(チェジュ島)である。
それでおれは彼女に答えた。ああ、
知っていたよ、と。(おれには、ウスターという比べられる町があった)
今の地球上の人間と同じように、グロスターも
異種雑多な町。だから、都市国家というものが分かるのだ
地方主義でもなく、あのミュー・シックでもない(企業、
新聞、けばけばしい週刊誌、映画館、
所有者不在の船や埠頭といったトリック
アメリカの多民族国家というのは移民国家だからだ。そこに自然と集まってくる産業資本主義の雑多な概念。
それで俺は彼女に答えた。ああ、
知っていたよ。キムが済州島出身だということも。逃げてきたんだ。
弱ちょろい親父とたくましいお袋と。それでアイツが生まれたのさ。
大阪でもなく、ソウルでもなく、済州島でもない、東京という外れの町で。
だからアイツは俺の兄弟だったんだ。父親も母親も違うけどな。たまたま生まれた場所が東京の外れの町で。
フィクションです。