今日休日のあなたに、役立つかもしれない話
やっと有給休暇が取れた。
土日すらもろくに心が休まることのない1か月を終えて、やっと取れたお休み。なんでも好きなことをしていいんだよ、と自分に呼びかけた。
なのに答えが返ってこない。
あの映画が見たい、あの本が読みたい、あの漫画が読みたい、整体に行きたい、新しい服が欲しい、自然に触れたい、旅行がしたい。仕事に追われたこのひと月、あれだけやりたい欲しいを巡らせていたではないか。
なのにどうだ。
いざ時間を得てみたら、普段の土曜日と変わらないテンションで1日を始めようとしている。せっかくの有給。世間が通常の土日休みのところを、ひとり王様3連休なのに。もったいない。なぜ心が高ぶらない?
幼い子どもに話しかけるように自問する。
買い物行きたい? 公園に行きたい? 新しい靴が欲しいんじゃない?
私は答えない。
カフェで読書するのはどう? 美術館行こうか?わかった、一日ゴロゴロ映画三昧は?
やはり私は答えない。
こんなやりとりを脳内でしばらく続けて、気づいた。
私がやりたいのは、自分の本音を取り戻すことではないか。
「社会」という場所で果たすべき役割を必死でこなす中で、ネガティブなものはオブラートに包み苦言を飲み込み、言葉選びに腐心し、場を暗くしないようにつくり笑う。
心の揺れを抑えて抑えて抑え続けた結果、自分が本当は何に怒っていて何に悲しんでいて何が楽しいのか、感じることができなくなってしまっていた。
今私がやりたいことは、人間の「私」を取り戻すことだ。
休日だから楽しまなくてはいけない。自分の好きなことをしなくてはいけない。平日にできないことに時間を使わなくてはいけない。
これは、私の本音ではない。
大人だから、責任があるから、社会の一員だから、こうしなくてはいけない、こうあるべきである。そんな事情から距離を置くことが本当の「休み」だ。普段抑えている本音を、そのままの形で解放してあげることが私にとっての「休み」だ。
感情に蓋をしなくていい。
悲しかったら泣けばいい。
怒りを外に出していい。
桜をきれいだと思えなくてもいい。
似合わない服を着てもいい。
過去の思い出に浸ってもいい。
甘いもので心の隙間を埋めてもいい。
お腹がたるんでたっていい。
カフェを5分で出てもいい。
公園でくつろげなくたっていい。
結局スマホばかり見てたっていい。
好きに寄り道したらいい。
眠くなったら寝ればいい。
何も得られなくたっていい。
何も終えられなくていい。
気が済むまで歩けばいい。
気が済んだら戻ればいい。
今日、休日のあなたに。
もしかしたら役に立つかもしれないと思って書きました。
おわり