ぼくらのもの (#シロクマ文芸部)
最後の日だった。久々に訪れた東京で数日をすごしていた僕は、最終日の今日、観光をするでもなく、ただ時間をつぶしていた。その目的を果たすために僕が選んだ街は、昔付き合っていた彼女を、二度も怒らせてしまった池袋だった。
「因縁の池袋か」
こんな独り言は、今日の気温も相まって酷く寒い。
普段、地味な土地に住み、地味な生活をしている僕にとって、池袋の繁華街はちょっとしたテーマパークのように見える。
見慣れたチェーン店の看板やその店自体も、どこか、田舎のそれとは違ったオーラを放っていた。
他にも、歩行者天国で流れる音楽の音質の良さや、ゲームセンターの広さだったり、気温に関係なくファッションに気を抜かない街ゆく女性たちなどが、一際僕の関心を引いた。
安いビジネスホテルをレイトチェックアウトして、昼を食べ逃しさまよう僕は、どこか落ち着く場所で一杯の珈琲を飲みたかった。
想像よりも街自体は混みあっていないとはいえ、通りに面したカフェは、どこも席が埋まっているようだった。
洒落たカフェで珈琲を飲むことは早々に諦めて、安いチェーンのファミリーレストランを探した。しばらく歩くと、大通りから少し遠ざかったところに、地元でも見慣れたイタリアンレストランの看板を見つけた。
見慣れた親近感からか、僕は迷うことなく、吸い寄せられるように店内へ入った。
入口付近では、数組の客が順番待ちをしていた。僕もすぐに案内表に名前を書いた。
空腹で頭の回転が鈍っていたからか、普段はやらない失敗をした。案内表にフルネームで名前を書いてしまったのだ。
『ワタナベ テツヤ』
平凡なこの苗字は、案内表に書かれた名前の中に二組あった。これが下の名前まで書いた言い訳になると信じて、僕は気を持ち直し、順番を待った。
名前が呼ばれるまでの間、スマートフォンを開き、いつものSNSをチェックした。僕が気に入っている人の投稿を見るためだ。
実を言うと、今回東京に来ることで、その人とどこかですれ違うかもしれないという、現実味のない期待を抱いていた。
その人というのは、顎を包む長さのボブヘアで、歳は20代後半。白いトップスを好み、3センチヒールのパンプスを履いている。大胆な行動派かと思えば、どこか繊細な一面を持った女性だ。そして、これは勝手な僕の予想だが、彼女は特定のパートナーをしばらくは作らない気がしている。彼女の名前はナナという。
レストランの店内は広く、入口で待たされた割には、ところどころ空いている席があった。店員のあとにつづき通路を歩いていると、パソコンを開いている一人客の女性に目が止まった。
「すみません、この席でも構いませんか」
僕は咄嗟に店員に声をかけた。
店員は「どうぞ」という代わりに、僕が指定したテーブルにメニュー本を並べて去っていった。
僕は窓際のソファーに腰掛けた。通路を挟んだ正面の席には、先程目に止まった女性客がいる。
彼女はこの店では定番のドリアを、たまに口元に運びながらノートパソコンで忙しなく文字を打っているようだった。
僕はちらちらと彼女を観察しながら、メニューを開き、ざっと目を通してから卓上のボタンを押して店員を呼んだ。
店員に、彼女が食べているものと同じドリアとドリンクバーを注文した。注文が済むと、朝からずっと飲みたかった珈琲を取りに席を立った。
通路に立ち、前に座る彼女との距離をわずかに縮めてみると、彼女の薬指がエンターキーを軽やかに叩く音が聞こえた。
僕が珈琲を手にして席に戻ると、また彼女がキーボードを叩く音が一度だけ聞こえた。
その直後、彼女は席を立った。彼女も飲み物を取りに行くようだった。
僕は珈琲を飲みながらまたSNSを開いた。するとタイミング良く、気になる人の投稿が上がってきた。
投稿されたものには、今日もナナの日常が綴られていた。ナナの日常を知ることは、僕の楽しみだった。毎日ナナが何を食べ、何を思い、何に喜んだのかを脳にインプットしては、自分事のように感じていた。
そんな僕だから、ナナが池袋の水族館に行ってきたという報告を聞いても、さして驚かなかった。むしろ、予感が的中したことに安心したくらいだ。
「昨日か」
僕はつぶやく。昨日、ナナはこの場所から数分のところにある水族館にいて、そのあとこの辺りを歩いたのだろう。
僕は今通ってきた道や、テーマパークのような繁華街を思い出し、ナナが寄り道しそうな店を考えてみた。
ナナは人混みが好きじゃない。ナナは並ぶことも嫌いだ。だからいつも一人だったりする。そこが自分と似ていて、惹かれる部分でもある。
投稿されたものを読み進めると、思わず笑ってしまう箇所があった。
ここだ。このチェーン店のドリアだ。
ナナが、いかにもこのイタリアンレストランでドリアを食べたような描写があるのだ。昨日、ナナはきっとこの店を訪れたに違いない。僕は、ナナが食べたものと同じものを、同じ街にいて食べているのだ。
僕の田舎街で同じものを食べるのとは訳が違う。これだけの選択肢がある池袋で、ナナと同じ行動をしたのだ。確実にシンクロしている。
僕は徐々にナナの思考に寄ってきているのかもしれなかった。
投稿は一日に一度というペースだ。投稿されたものに目を通す瞬間だけは、彼女と一緒に居るような気分になれる。いくら過去の投稿を見直しても、初めて読む時の新鮮さと感動は二度と味わえない。
この日はナナが感じた悲しみが語られていた。友達のいない彼女が一人で水族館に行った理由や、その後のちょっとしたトラブル。
そのトラブルというのが、何となく不穏な空気を感じさせる。僕は読みながら、ナナの今後を案じていた。僕にどんなに思いがあっても、ナナのことを守ってやれない。今はこんなに近くにいるのに。
不甲斐なさに、一度はスマートフォンを閉じるが、深呼吸をして気持ちを落ち着けると、また続きを読み始めた。
一度の投稿の文字数は5000文字をこえる。しかし、読みやすい文体と、心地良く語りかけるように綴られるナナの日常に、一度のめり込むと一気に読めてしまう。
僕はあえて時間をかけて読み終えて、改めてナナの魅力に卒倒しそうになる。
彼女が足を組みかえた時に軽く足首を回す仕草、片腕だけ頬杖をつきながらスマートフォンを操作する仕草。ドリンクバーでは、カフェオレ、カプチーノ、アメリカンの順でおかわりをしていくことなど。
ナナがまるで目の前にいるように思える。僕はとても幸せな気持ちだった。顔を上げると、目の前にいた女性は三度目のドリンクのおかわりをして戻ってきたところだった。
彼女は左腕で頬杖をついて珈琲をすすっている。そして珈琲のカップを置くと、そのままパソコンの画面に何やら打ち込み始めた。
僕は開いたままのSNSをぼんやりと眺めた。すると、僕が見つめているまさにその時、ナナに関する新たな投稿があがったのだ。
「嘘だろう……」
僕は思わず声に出してしまった。
目の前の女性が、上目遣いに一瞬こちらを見たような気がした。
僕はすぐさま、ぷち遠藤のこの投稿にコメントを送った。
これに対し、ぷち遠藤からはすぐに返事があった。
「ふざけるな!」
僕は拳で自分の足を激しく二度叩いた。僕の行動に驚き、顔を上げた女性と目が合った。
彼女は数秒、僕をじっと見つめたあと、目を逸らした。
怒りで震えながら文字を打った。こんなに腹が立つのは久しぶりだった。これまでずっと応援してきたぷち遠藤が、今回書きあげようとしているナナの物語は傑作で、ファンも多い。しかし、僕こそが真のファンであって、これまで何度も投げ銭でサポートをしてきた。だから、ナナの物語は、半分は僕のものなのだ。
「やば……」
そんな呟きを僕の耳がキャッチして、ふと顔を上げると、目の前の女性が帰り支度を始めている。
シルバーのノートパソコンを黒のケースにしまい、イヤホンを外す。外したイヤホンをショッキングピンクの小さなポーチにしまっている。どれもナナが持っているものと同じだ。
立ち上がった彼女の身長は目測160cmから165cmの間だった。痩身で、肩より下の長さの髪の毛が艷やかだった。伝票を掴む彼女の右手が窓から差し込む光で小さく光った。ピンキーリング。おそらく、小さなダイヤモンドでもついているのだろう。ナナが自分の誕生日に自ら買った指輪にも小さなダイヤがついていた。
彼女が会計に向かうところを目で追いながら、僕も上着を羽織った。
会計を急ぐ彼女の後ろに並び、横に置かれた案内表のページをめくり遡る。
僕は、自分が書いた「ワタナベ テツヤ」のひとページ前に、一人客で「エンドウ」と書かれた一行を見つめた。
会計を済ませ、振り返った目の前の女は、僕を見ると顔を引き攣らせた。そんな彼女に、僕は笑顔で声をかけた。
「遠藤さん。今、会計を済ませるので少し待っていて貰えませんか。僕はあなたの、一番のファンなんです」
[完]
今週もよろしくお願いします°・*:.。.☆