非論理的思考~人を不幸にする信念の特徴【憂世で生きる智慧】
人を不幸にする信念の特徴:非論理的思考
①『絶対に・完全に・すべての・常に』などの言葉が多用される信念
②『べき・ねばならない・当然』が多用される信念
[アドラー心理学/野田俊作]
アドラー心理学の中で、信念の強さを示す言葉として「絶対に」「完全に」「すべての」「常に」などが多用される信念は、しばしば人間関係や自己評価において過度なプレッシャーやストレスを引き起こす要因となる。
例えば、「絶対に失敗してはいけない」「常に成功しなければならない」といった信念は、現実的な視点を欠いた完璧主義を助長し、失敗を過度に恐れる結果となる。これらの言葉が使われる信念は、自分や他人に対する不可能な期待を生み出し、挫折感や無力感を強める傾向がある。
次に、「べき」「ねばならない」「当然」といった言葉が多用される信念について考えてみよう。これらの信念は義務感や責任感を強調しすぎることが多く、柔軟性を欠いた硬直した思考パターンを形成することがある。たとえば、「他人を助けるべきだ」「成功しなければならない」「人から愛されるのは当然だ」といった考え方は、自分や他人に対して非現実的な期待を押し付けることになりやすい。このような信念は、失望や葛藤を生み出し、人間関係や自己評価に悪影響を及ぼすことがある。
アドラー心理学では、こうした過度に強い信念を見直し、より現実的で柔軟な思考にシフトすることが推奨される。つまり、「絶対に成功しなければならない」という考え方から「失敗も学びの一部である」といった柔軟な視点へと移行することで、自己成長と人間関係の改善を図るのだ。
結局、人生において重要なのは、過度なプレッシャーや義務感にとらわれず、自分や他人に対して現実的で優しい視点を持つことなのだ。アドラー心理学が教えるところによれば、自己と他者に対する柔軟で現実的な信念こそが、健全な自己評価と良好な人間関係の基盤となるのである。
信念が物事の受けとめ方を決める
『非論理的思考』に共通している形式的な特徴
ひとつは、「絶対に」とか「完全に」とか「すべての」とか「常に」とかがついている思考はダメだということ。
もうひとつは、「べき」とか「ねばならない」とか「当然」がついている思考はダメだということ。
エリスの10の『非論理的思考』
自分が大切だと思うすべての人びとから愛され、受容されなければならない。
自分は有能で適性を有し、何かすばらしい業績をあげて当然だ。
人びとが自分に不快・不正を加えた場合には、断固としてその人を非難・問責し、彼らを不正・不徳の堕落した人間とみなすべきだ。
人がはなはだしく欲求不満に陥ったり、不正な扱いを受けたり、拒絶されたりすると、人はかならずや事態を恐ろしい、悩ましい、悲劇的なものとして眺めるものだ。
精神的な苦痛は、外部の強い影響から生ずるものであるから、自分の力では感情を制御し望む方向に変えることはできない。
もしあることが危険で恐怖を覚えさせるもののようにみえたとき、我を忘れて不安に陥るのは当たり前だ。
生きがいのある人生に向けて自己修練を積んでゆくことはたいへんなことであるから、それより障害物はなるべく避け、責任ある仕事はできるだけ回避しているほうが安心でいられる。
過去の経験こそ決定的に重要であり、しかも過去において人生に大きな影響を与えた出来事は、今にいたってもその人の感情や行動を決定するものである。
なにごとも現在よりは良くなるべきだと先験的に信じる。もしも冷酷な現実にたいして望ましい解決策が見いだせなかったら、それはきわめて恐ろしいことだ。
何もしなくてよい状態あるいは義務に拘束されずに受動的に楽しむことこそ最上の幸福である。
エリスの理論によれば、これらの非論理的思考が人々の心の中に根付いていると、ストレスや不安が増し、精神的な健康に悪影響を及ぼす可能性があるとされている。
[憂世で生きる智慧]記事一覧
#憂世で生きる智慧 #仏教 #学び #最近の学び #気づき #日々の気づき #今日の気づき #名言 #格言 #ことわざ #人生 #今日の名言