共感覚当事者たちの日々
先日こちらの記事を投稿し、5名の共感覚当事者の方が取材に応じてくれることとなりました。取材として十分な人数となったため募集は〆切ました。
快諾してくださった皆様、ご紹介してくださった方、拡散してくださった方、心から感謝を申し上げます。
「共感覚当事者への取材協力」へ5名、お話を聞かせてもらえることになった。これはたったの1日で集まった人数だ。
このスピーディーさから、共感覚が過去に言われていた大げさな割合などではなく、最新の研究結果の23人に1人という事実への立証、決して特別なものではない、ということがさらに予測されることにもなったのではないだろうか。
協力者の共感覚は実に様々だった。
色字共感覚が多いがその感覚も様々で私のもつものとは少し違っていた。その他にも聴覚から形を感じる人や、人の印象から食べ物を作る(視覚から味覚)、多くの事例にそれぞれ、困っていることなどもあることがわかった。
そしてその様々な共感覚を持っている方は、自覚がない人がとても多かった。それは認知の進んでいない社会と、共感覚の幅広い多様性が要因と予想する。
私の共感覚はなんだろう?改めて書き記してみる。
この共感覚を書き出す作業というのは、発信しているからこそぱっと思い浮かぶものだが実は当事者にはとても困難なことなのだ。実際今も、少し考えながら書いてしまった。
なぜか?
当事者はそれが当たり前だと思って生きているためだ。
『目で、何かを見る。その時に色が付く。』
以前どこかの記事でもこのことに触れたが、当事者の共感覚の反応はこれが日常的で、他の人にもあるものだと疑うことがない。自分の五感を確かめ合うことなど普段の会話に出てこないだろう。それゆえ、何か共感覚の情報を偶然見かけたり、人に指摘されない限り気づけない。私も人に指摘されるまで当たり前だと思って生きてきた。
こんなにも共感覚の発信をし続けている私ですら、書き出そうと思うと考えこんでしまう。それくらい当たり前の感覚で日々を過ごしているということだ。そしてそれは、その人のただの個性なのだ。
当たり前であれど、共感覚が要因の悩みは出る。その時に、回避法や解決法を知っていれば、もっと生きやすくなるのだ。そのために私は伝え続けることを辞めない。
共感覚を正しく知ってもらうことで、生きづらさを抱える人を減らすために。
山口葵