「好き」に生きる
自分らしく生きる、についての迷いがあった私は、
母とじっくり話し、自分の中の「正解」を求めた。
仕事が生きがいの私は、仕事が合ってこそ人生が豊かに思えるということを改めて感じる。そこで今いろいろと動き始めた。持病があり、なかなか外で働くことが難しいので在宅での仕事を基本的に何年もしているが、そのなかでも諦めきれない職種があり、挑戦してみたいと思う。
体の調子は随分いい。プライベートのことがあり、2ヶ月ほど仕事のセーブをしていたがそろそろ本格的に動きたいと思い始めた。
事業のことも動かしていかねば。
引っ越しをして地元に行ったら、憧れていた車を買おう。運転は好きだ。それに乗ってどんな場所にでも行けるからとても楽しみにしている。色々な可能性を地元に行くからという理由で潰したくはない。
動物と暮らせる部屋を借りたので、やっと猫を引き取ることもできる。こちらに来たら制限は減らして、気ままに過ごさせてあげよう。きっとずいぶんとストレスが溜まっているはずだから。
それから、「料理が出来ない」と罵倒され続けた私は、料理を深く知るために資格を取ろうと思い、今色々と探している。
何年も家庭料理や弁当を作り続けてきたことはすっかり忘れられているようで少し腹が立つが、どうせやるなら、楽しんで。レパートリーも多い方が良い。
資格と言えばもうひとつ、地元に戻ったらやる予定の一次産業に関わる資格も取る予定で、「できること」の幅は広がるだろうと思うと楽しみだ。
私は、ひとつの「執着」を手放した。それには色々な感情があるが、一番は大きな呆れにあった。
たった数年で、人を思いやれない、家庭内いじめをしてしまうような人間にしてしまった、ネットで誹謗中傷をする人間にしてしまった、そんな人たちの罪は重い。
だから好きにすればいいし、だけどきちんとした取り決めはしてもらおうと思う。それによって会えないのなら、それが正解だと思う家族に育ってしまったのなら、残念だけれど同じ人間が形成されていくのだから好きにすればいい。
好きにしたらいいが、他人に迷惑をかけた時の責任だけは私が取ろう。
それが私の考えの結論だ。
今現在怒鳴られているのなら、数年後には暴力が待ち構えている。弱いものにだけ強い、そんな人間の近くに居ても不幸にしかならない。
殴られるのはそう遅くはないはずだ。そんなにも年の離れた恋人を怒鳴るなんてこと、普通の人間ならしないんだよ。少なくとも私はそんな人知らない。逃げるなら早い方が良い。
母は私に「苦しめられてきた分、好きな仕事をして、乗りたい車に乗って。好きな人と好きに生きるといいよ。」と言った。
私の未来はそんなふうになっていく。そう思うとわくわくした。
地元に帰ると友達がたくさんいて、今この地にもいる。大好きな従姉妹ともすぐ会える距離になるし、なにより両親にも会いやすい。大切な人もいる。守ってくれる機関もいくつもある。
今もひとりではないがそれでももっと賑やかになる、そう思うと心が温かくなった。
閉ざされた芸能への道もご縁がありまた開いた。
私の挑戦は止めどなく続くだろう。
山口葵