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FUDO-KI《考察4》

4回目になります『FUDO-KI的歴史考察』。あくまでも個人的な考察、エンタメとしての考察です。

今回は『ヤマト王権』の勃興です。

筆者の考察では阿波で生まれた『ヤマト王権』は、伊予を併合し日向に渡ったとしています。更に肥国と同盟を結び、狗奴国を牽制しながら版図を拡大していきます。ついには豊国を取り込み…。

今回は、そこまでの考察を解説していきます。『FUDO-KI』は吉備津彦伝を基にした『桃太郎』話です。


①阿波国

1.国生みの地

まことしやかに邪馬台国説が囁かれる阿波ですが、イザナギとイザナミによる国生み神話も近い地域が舞台となっています。

[考察]
国生み神話ではヒルコが生まれ、次に淡島が生まれます。その後に淡路島から順に日本列島が生まれていきます。
天照大神はヒルメと言う名前ですね。ヒルコの正体はヒルメと対になる神様でしょう。ヒルコの話は長くなりますので別の機会に。
そして次に生まれる淡島は「阿波」を指すと考察します。最初に淡路島を攻略し天孫族の歴史が始まったと思うのです。淡路島の「あわじ」という言葉がそれを示しています。それから次々に生まれる島々は天孫族の勢力拡大を表します。ただしこれは数世代に亘る話です。


2.剣山

古代ユダヤから持ち込まれた聖櫃(アーク)。お神輿の様な形をしており、剣山に隠されたという言い伝えがあります。

[考察]
聖櫃には「マナの壺」「アロンの杖」「十戒の石板」が収められていましたが、それは「三種の神器」と類似性があるとも言われています。天孫族には所縁のあるものです。「マナの壺」は前方後円墳の形とも。
「十戒の石板」は三種の神器の「八咫鏡」に例えられます。「八咫鏡」にはヘブライ語が書かれていたとの話もあるのです。
神話では天照大神からニニギに渡されます。天孫族とは「八咫鏡」こと十戒を守る一族だったと考察します。天孫族は祭祀を大切にし、特に祭祀者を重用していきます。もともと祭祀を司る一族だったことを表しています。

3.高天原

神々が住まう高天原。所在地については色々な説があります。天照大神を初め天孫族の郷であり、高地にあるイメージです。

[考察]
神話では度々、高天原に住まう神様の様子が描かれます。まるで全ての根幹が高天原にあるように。色々な場面で高天原から命令が送られ続けます。それは何故か。高天原が首都だったからです。そして高天原とは祖国の阿波を指すと考察します。

②日向国

1.天孫降臨の地

日向と言えば天孫(天照大神の孫)ニニギが降り立った高千穂から物語が始まります。その後はこの地で幾つもの神話が繰り広げられます。

[考察]
ニニギの天孫降臨とは何でしょうか。天照大神こと「高天原の王」から、九州へ勢力拡大の命令が下ります。天孫族は、阿波や伊予から海を渡り高千穂に現れたと考察します。高千穂を拠点として日向の地を治めていくのです。初期の時代までは高天原こと阿波に権力が残ります。


2.日向族

天孫族の王族は「アメ氏」。ニニギを始めとした王族は日向にもやってきます。日向の地に先住していたのは、南国の影響を受ける海洋民族です。次第に融合していきますが、その過程で文化や信仰も変化していきます。

後に付けられた名前ではあるものの、「日向族」は神武東征の際に「日に向かって攻めたから良くなかった」という説明もあります。もともとの自然信仰に、前述した聖櫃に基づくユダヤ信仰が加わるものの太陽信仰は見当たりません。また先住者が海洋民族であれば北極星または月信仰でしょう。それを紐解くキーは東に祖国阿波があることです。東の阿波に祈る行為は、次第に太陽に祈ることに置換されていったと考察します。


③ヤマト王権の勢力拡大

1.火山の国

かつては喜界カルデラの大噴火で住むこともできなくなった西日本。肥国こと火国は、その後も火山が活発だった特別な地域です。阿蘇山と雲仙の2つの火山は頭文字をとって「あ・うん」の関係とも言われます。

[考察]
当時、大昔の話がどれ程語り継がれていたかは分かりません。圧倒的な恐怖を与える活火山。喜界カルデラ時代の情報が無くても、信仰の対象になり得るでしょう。農作物も育ちにくく災害も多い地域では独自の文化圏が形成されました。
この地域は敵対する狗奴国に国境を接しています。また貿易により国力が隆盛な筑紫国とも接しています。『ヤマト王権』は、このキーとなる国とは協力体制を築いたと考察します。

2.熊襲

かつて狗奴国と呼ばれた地がありました。卑弥呼と名前の似た卑弥弓呼(ひみくこ)を王として邪馬台国と対立していました。その後の時代は熊襲と言う勢力が猛威を振るいます。

[考察]
卑弥呼はヒメミコで、卑弥弓呼はヒコミコという説もあります。敵対するには名前が似すぎていますよね。それは何故か。かつては同じ国だったと考察します。国の分裂が戦いを呼びました
熊本県の球磨地方に名前の名残があります。狗奴国の本来の呼び名は「くまこく」です。その独自の勢力は、敵対したまま後の時代まで残ることになります。

3.豊国

現在の大分県ですね。周囲を海に囲まれ、貿易も盛んだったことでしょう。水位の高かった当時では山に囲まれる独立した地域だったようです。

[考察]
邪馬台国説も囁かれ、ウガヤフキアエズ王朝があった場所とも言われます。前の投稿では宇佐神宮について考察しました。いずれにしても、この地に大きな勢力があったことは間違いありません。その勢力を懐柔するために天孫族は力を注ぎ、ついには首都を宇佐に遷したと考察します。それが後の時代まで宇佐が権力を行使する理由だと思うのです。

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