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法の実践のまず始め④ ルアンプー・プラモート師

(続き) あるいは心が真実を受け入れ認めることが出来て

好ましくない感情が心に触れることがあり

好ましくないことに出会ったとしても

心は悶えなくなるのです

心は苦(ドゥッカ)で無いのです

私たちが嫌いな人に出会ったとき

そして隣の家の住人がその人であり

共にいなければならないようなとき

あるいは

職場が同じで仕事を一緒にしなければならないようなとき

ストレスがかかり

この世からいなくなってほしいと思うのです

しかしいなくなることはありません

私たちの心は苦(ドゥッカ)になるのです

しかし

私たちが

良い気分・悪い気分を選ぶことは出来ないものであると

業(カルマ)が私たちにそれをもたらすものであると

そのような心持ちでいるのです

業によって私たちは気に入り気の合うことに出会うのであり

悪い業によって私たちは不満足を感じる人々に出会い

善い業の結果に依り愛する人と出会い

しかし

ある日

悪業が私たちを慌てさせるような結果をもたらすのです

愛する人と別れることになるのです

ですから私たちは

生きていくことの真実を学んでいくのです

それが法の実践なのです

いつか生きていくことの真実を受け入れ認めることが出来たなら

身体や心に何が生じたとしても

私たちの苦(ドゥッカ)は市井の人々よりも小さくなるのです

もしも

本当に善く心を訓練されたのなら

私たちの心に苦(ドゥッカ)生じることはもう無いのです

しかし

身体の苦(ドゥッカ)は逃れることは出来ませんよ

仏陀でさえ涅槃(パリニパーン)に入った時

大変重い腹痛だったのです

クシナラを歩くも

休み休み歩かなければなりませんでした

身体に力が無いのです

我慢して歩んでいったのです

休憩し力が湧いてきたらまた歩いたのです

仏陀でさえ

不善(アクソン)が身体を追いかけてきたのです

不善が仏陀の心に届くことはありませんでしたが

涅槃に入るその日には

過去の不善の結果を身体にもたらしたのです(続き)

04:35~


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