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万仏節(マカー•ブーチャー)②メーチー•ジュン師

(続き)

私達に度々生じ煩悩の言い訳にすることの一つに

「自分には重荷がある」と言います

私はあの責任を持たなければならないから

私はこの責任を持たなければならないから

というものです

しかし

何故自分の心に責任を持たないのでしょうか

では

この瞬間に苦(ドゥッカ)を感じ続けている今

どうやって責任を果たせばよいのでしょうか

この苦の原因をどうやって無くすことが出来るのでしょうか

苦から逃れられるのでしょうか

もしも

私たちの感情の罪というものが観えていないのであれば

それから解脱しようとは思わないのです

そして解脱する事は無いのです

まったくあり得ないことなのです

なぜならば

私たちは満足の原因の上に居座ろうとしますが

満足する為の原因をまず捨てなければならないからです

では

どうすれば

今までずっと満足していたことを捨てる

それを捨てることに満足できるのでしょうか

私達は今まで

煩悩を集め

自我を集め

どれだけ輪廻を繰り返してきたかわかりません

この生

いま私たちの目の前におきている自分の生でさえ

これまでどれほど訓練を積んできたのでしょうか

私たちがいつであれ結果を求める時

その原因を思い起こすのです

もしも

原因が十分であるのならば

結果は原因に沿って生じてくるのです

結果だけが欲しいというのはいけませんよ

結果が欲しいと思った時

それは原因を作らなければならないのです

原因とは何でしょうか

それは

戒(シン)・定(サマーディ)・慧(パンニャー)です

それは

悪行為を止め・善行為をするとうことと同じ意味なのです

善行為(クソン)を作り、サティを訓練するのです

ですから

ルアンター(メーチージュン師の師事するお坊様)は

アナパナサティ(呼吸瞑想)の訓練する事を言っているのです

呼吸の中にサティを持つ

入る呼吸を知る

出る呼吸を知るのです

仏歴2567年2月24日



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