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サンマーヴィムット(正解脱)ルアンポー・プラモート師

サンマー・サマーティ(正定)が満たされたとき

サンマー・ヤーナ(正しい智慧)が完全になって現れます

サンマー・ヤーナ(正しい智慧)とは

智慧を高めて

三相(無常・無害・苦)が観えることです

正しく観え

少しづつそれを集め

更に集めて

更に高めていくのです

すると

最後には

サンマー・ヴィムット(正解脱)が生じるのです

なぜサンマー(正)という言葉がついているのでしょうか

私は解脱しました

と言っている人の解脱とは

それぞれの宗教で別々のものだからです

ある新興宗教や宗教では

サマーディで集中し心が一つになると

神と同一になったと思ってしまうのです

本当は

心が一つに集中しているのです

心が一か所に集中する時には

様々な症状が起こるのです

ある時には創造神のようなものになったりします

宇宙ののあらゆるものが流れて行ったり

観えたりするのです

互いに離れたり

生じたり滅したりするのです

その人は

精霊になったので

そのようなことが生じたと

思ったりもするのです

これ以上無い高次の状態だと

思ったりするのです

またある人はそれが

大変な苦痛だと感じたりもするのです

それは苦痛に慣れ

無感覚になるまで続くのです

身体はずっと苦痛のままです

そして

心が苦痛に慣れるまで続くのです

どれだけ苦であっても

心は乱れなくなるのです

これもある人にとっての解脱なのです

またある人にとって

解脱とは神といることなのです

しかし

私たちはそのことを悪く言ったりはしないのですよ

それはその人にとっての解脱だからです

しかし

私達のサンマー・ヴィムット(正解脱)は

道が生じ

果が生じるのです

涅槃に触れるのです

涅槃は別の場所にあるわけでは無いのです

もしも涅槃のことを言うのならば

涅槃とはサンティ

つまり

静けさの事なのです

沢山のものが観えて

どうして静けさになるでしょうか

そこではタンハー(渇愛)が

終わっているのです

涅槃とは渇愛が終わっていることなのです

静けさなのです

涅槃は生じるものでは無いのです

私たち心の

渇愛が終わったのならば

涅槃に触れるのです

ですから

それぞれの宗教で

解脱は違うかたちのものなのです

私達の解脱は

涅槃への結果でなければならないのです

あちらの解脱は持続するわけでは無いのです

生じるのならば滅していくのです

仏歴2565年6月5日


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