自分らしい文章の書き方とは
どうも。
ライターとして生きながら、ライターではない人生を模索中のannです。
てな感じで、今日はしっかりと挨拶(自己紹介)から書いてみました。
急に話が始まるのと、こんな風に一言くらい挨拶がある入り方
どっちがいいんだろう。
挨拶があった方が、なんかブログ感あるなって気もするし
毎回読んでくれる人にとっては、鬱陶しいなって思われるかもしれない。
でも、新規の読者さんに名前を知ってもらうためには
毎回挨拶があった方がいいんだろうな。
まぁそのあたりも私の気分でコロコロ変わることでしょう。
ほら、文章の書き方すら毎度定まってないし。
とは言え、ライターの心得みたいなものを読んでいると「その人らしい文章が大事」みたいなことがよく書いてあるよなーと思う。
なにごとも、キャラを定着させるって大事というか。
アニメやドラマで言えば、主人公、ヒロイン、お調子者、クールだとか
戦隊モノみたいにそれぞれ違う特色をもったキャラ付けが大事。
アイドルや芸能人もそうだけど
キャラがすぐに定着するだけで名前を顔を覚えてもらえるし
キャラが定着していないと「じゃない方」なんて呼ばれ方をしてしまう。
”じゃない方”なんていうのは、明確なキャラではない。
”その他”と同等、モブみたいな扱いだ。
アイドルグループであれば、メインの子は自然と覚えてもらえるが
歌っていてもいつも後列だったり、端っこだったりする子の場合はなかなか覚えてもらえない。
でもそこに明確な”キャラ”(一人だけ金髪、一発ギャグがすごいetc.)があれば、自然と覚えてもらえるのだ。
キャラ=個性
みたいなものではあるけれど、モブとして生きてきた私もずっと自分のキャラに迷走していた気がする。
ファッション業界なんて、そもそも個性のぶつかり合い。
いかに自分の個性とセンスを貫けるかが勝負みたいなものだ。
でも私にはその個性が無くて、普通の感覚しかなかった。
それがすごく嫌だった。
奇抜な服装をしている子や、ありえない色の組み合わせを生み出す友達に憧れた。
私もそんな感性がほしい!
って、ずっと思っていた。
でも自分のなかにある好きは、ごくごく一般的で、頭のなかにあるキャパシティーもごくごく平均的。
あーなんて平凡でつまらないんだろうって。
ずっとそんなことばかり思っていたのだけど
通っていた服飾の専門学校で、リメイクしたジャケットを展示する機会があった。そこでたまたま訪れてた卒業生で現職バイヤーさんの方が、私の作品をみて
「これは〇〇(某アパレルショップ)ですぐにでも売れそうなデザイン!」
と言って、褒めてくれたことがある。
私にとっては奇抜でもなんでもないデザイン。
ただ、どこかに売ってそうで、でも売ってないから自分で作ってみたようなものだった。
それを褒めてもらえたのが、自分でも「なんで!?」って驚いたし、ファッション業界において個性ほど大事なものはないと思ってたし。
みんなが作ったもののなかで、なによりも既製品でありそう過ぎるデザインだったから。
何年か前にも、私が憧れを抱く奇抜なファッションをしている友達に「私にはトレンドとか皆が好きなものみたいなものはわからない。だからそれがわかるannちゃんはすごいよ!」と、言われたことがある。
そんなものは、みんな好きだからみんな好きなのであって
つまりは量産的とか、平凡って意味じゃん。って思っていた。
私は、彼女のように自分にしかない感性が欲しかったから。
強いこだわりみたいなものが欲しくてたまらなかったから。
でも彼女からしたら、「私の好きなものは、世間的には否定されちゃうんだよ。みんなの好きなものがわかるのはすごいことだよ」と、言った。
考えてもみなかった。
こんなに素晴らしい個性を持っている人が否定されることなんて。
もちろん、彼女はそんな自分を否定したりしないし
自分の感性が大好き。さらにその感性を活かせる仕事もしている。
そんな中でも、私のことを否定せず
「annちゃんは、みんなの”好きそう”がわかるからいいんだよ!」
と、言ってくれた。
そこから、私は個性に対して強い執着をもつことをやめた。
無理に個性的を狙うんじゃなくて、自分の好きは誰かの好きに繋がるかもしれないって思うようにした。
今、雑誌で書いている記事のほとんどが「己の個性は捨てろ」的なものばかりだ。
なぜなら、求められるのは自分らしさというよりも”その雑誌らしさ”だからだ。
ここで奇抜に書いてしまうと、だいたいボツになる。
自分らしさなんてのは、まるで役に立たない。
そう考えると、私の”みんなが好きそう”的な感性が武器になってくる。
書くものに合わせて、書き方を変える
迷走しているわけではなく
自分は飽きっぽいからコロコロ文章の書き方が変わる。
それが私らしいし、私の強みになってくれる。
そう思うだけで、ひとつの個性になるんだよなって。
正解なんてないからこそ、別に無理やり何かの型にハメなくていいし、型にハマれるならハマってしまえばいいだけだ。
そう。
だから私は、挨拶をしたりしなかったりの色々な文章をこれからも書きます!
(それが言いたかったんかい)