無言のわたしが饒舌でいられる場所
深夜2時。
いやわたしにとっては26時と表現するほうが適切だ。
パトカーがけたたましくサイレンを鳴らして爆走していく。
この街はパトカーがよく走る。毎晩のように。
いったいどこで誰がトラブルあるいは事故、犯罪を起こしているのだろうか。
ドタドタと上の階はこんな夜中にいつもやかましい。きっと家族の誰かがシフト勤務なのだろう。
どれもこれも、あまり耳ざわりのよい音ではない。
対して朝も昼も、鳥の声ひとつ聞こえない。
音のない音が聞こえるぐらい、世界は静まり返っている。
目が覚めると、世界が動いているのか一瞬不安になるぐらい。
やかましいのも苦手だが、こうも静まり返っているとアイ・アム・レジェンドのウィル・スミスはこんな気持ちだったのだろうかと想像する。
もしかしたら、わたしが散歩を続けられている理由は、世界が正常に作動しているか確認して、安心したいからなのかもしれない。
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いつもは音楽を聴きながらの散歩。
今日はイヤホンを外して歩いてみる。
車がぱらぱらと通り過ぎていく音。
川沿いの道は、川が流れる音。
草むらに潜んでいた鳩が、わたしに気づいてバサッと逃げる。
いやいや、びっくりするのはこっちだから。
そういえば「通りゃんせ」が流れる信号機もない。
…本当に音のない街だ。
でも、今日もいつもどおりスーパーは営業しているし、ドラッグストアではいつものお兄さんがいつもの無表情で接客している。
うむ。通常運転である。
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人は環境の影響を大きく受けるという。
たしかにそうかもしれない。
この街に越してきてから1年経つが、まだ友だちという友だちもいない。
囲碁クラブのじいちゃんたちは、囲碁クラブのじいちゃん以上でも以下でもない。
誰かとオンラインで話す機会は増えたけれど、夫以外の誰かと対面で話す機会は激減した。
オンラインで話す機会はたいがい仕事の打ち合わせや勉強会だ。
腹を抱えて笑う機会も減った気がする。
声は小さくなったし、内省する時間が増えた。
だいたい24時間のうち22.5時間ぐらいは自宅にいるし、20時間ぐらいは無言で過ごすのだから、そりゃそうか。
でも、すこしさみしく思う。
前はこんなふうではなかった。
そう思うと、静かな街で、ひとり静かに過ごす時間が増えたわたしは、noteを書くことで誰ともなく誰かに話しかけた気になって、さみしさを紛らわせているのかもしれない。
我々転勤族はみずから住みたい街を選べない。
「置かれた環境で咲きなさい」ではないけれど、環境による自分の変化をみつめながら、次の転勤までの時間をおもしろがって過ごすよりほかない。
なるほど。
じゃあこの街で、わたしが無口でいるうちは、noteでは饒舌でいられるかもしれないな。
たっぷり考えて、たっぷり書こう。
いつか違う街に引っ越したとき、「くだらんなあ」とおもしろがって読み返せるといい。
今日も読んでくれてありがとうございます。
あなたの暮らす街は、どんな音が聴こえてきますか?