積ん読と向き合ってみる
昨日、映画を観にいったついでに本屋さんにも寄ってきた。
本屋さんはわたしの大好きな場所のひとつだ。
電車の時刻とにらめっこしながら、およそ1時間滞在した。
目当ての本があるわけでもなく、単行本・文庫本・ビジネス書・コミックのコーナーを中心にそぞろ歩き。
わたしが意識して読書を好きになったのは高校生の頃だ。
しかし親のいうところによれば、小さな頃から絵本を音読するのが好きな子どもだったらしい。
そして両親ともに、本だったらだいたいなんでも買ってくれた。
だからうちには絵本も多かったと思うし、児童書もたくさん買ってもらった。
おもちゃやゲームは誕生日やクリスマスでなければ買ってもらえないが、本ならほぼいつでも買ってもらえるから本が好きだったのかもしれない。
その代わり、本を乱雑に扱うと猛烈な勢いで怒られた。
誤って本を踏んづけてしまおうものなら、父親から爆裂カミナリを落とされた憶えがある。
大人になった今は、本は買ってもらうものではなく自分で買うものになった。
財布が変わったとはいえ、やっぱりそうした親の影響からか本だけはお金を惜しまないと決めている。
仕事で読まなければいけない本なら中古本やKindle Unlimitedも活用するが、好きな作家の小説などはできるだけ本屋さんで新品を買う。
街の本屋さんがなくならないためにも、本屋さんにお金を使いたい。
∽∽∽
そういうわけで、我が家の積ん読タワーはどんどん高さを増す一方だ。
仕事柄、先輩からのおすすめ書籍も多いから余計に…。
昨日も昨日で本の森にときめいて何冊も本を買ってしまい、またタワーが高くなってしまった。
最近思う。
「買って満足していないか?」と。
高校生の頃は使えるお金も限られていたから、1冊読んではまた学校帰りに本屋に寄って1冊だけ買う。
未読の本がうず高く積まれていくことなどなかった。
本には旬がある。
旬を過ぎると、買ったままなかなか手が伸びなくなってしまう。
読みたいときに買い、買ってすぐ読むのが本当なら本のいちばんおいしい味わい方だろう。
大人になって働くようになり、とくにリモートワークの今は出かけることも少なくなり、さらに本屋さんも減っている。
どうしても本はまとめ買いが増えてくる。
もちろん「おもしろそうだ」と感じた本を買っているわけだが、どうしても1冊、せいぜい2冊ずつ順番に読んでいくために時間が経って「読みどき」を逃してしまうものも出てくる。
読み終えた本のタワーなら「おほほ、こんなに読んだかあ」と満足げな気持ちにもなれるが、まだ読んでいない本のタワーをみると時にざらっとした気持ちさえ味わう。
散らかった部屋や山のようなTODO、次から次へやってくる判断が気持ちの余裕を削いでいくように、積ん読もまたじわりじわりと部屋と心のスペースを狭くしていくのではないか。
シンプルイズベスト。
どうせこの暑さでろくに出かけられやしないのだ。
高校生の頃のように、1冊ずつ、ひとつずつ、片づけていこう。
今日も読んでくれてありがとうございます。
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