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今日ときめいた言葉90ー「客観性や数字的なエビデンスこそが真理だとされているが、経験が導く感覚の中にも真実はある」

(2023年11月1日付 朝日新聞 「こころのはなし 数値的なエビデンスなくてはダメ?」 現象学者 村上靖彦氏の言葉から)

「先生の考えに客観的な妥当性はありますか」と学生に聞かれるそうだ。
村上氏の研究は数値的な証拠を積み上げない内容なので、若い学生は数値データを使わないことに耐えられないのだろうという。

でも村上氏は語る。

「個人的な体験の中で感じたことはその人にとっても一つの真実です」

現代社会では、いつも数値的な根拠が必要で自分の経験や考えには価値がない気がしてしまう。数値的な有用性を示せないと、無意味なものとして排除されてしまう。だからエビデンスは差別や排除の目的で使われる。

エビデンスを使って論破しようとする人は、その数値を使って何かを明らかにしようとしているのではなく、人をたたきたいだけなのだと。

思うに、論破とは相手を敵とみなす行為である。お互いの考えをきき合い、尊重する本来の対話とは違うものだ。村上氏はこの問題を日本に人権教育が根付いていないからだと指摘する。

人は単純な説明に納得しがちで、エビデンスがあると言われたら理は相手にあり、自分は負けたような気分になる。

確かに、エビデンスを使って話された時、それに反証するエビデンスを持ち合わせていなかったら、それ以上対話は続けられない。納得はできないが反論もできないという微妙に居心地の悪さを感じたことは多々ある。

「でも、生きることはそんなに単純ではない」と村上氏は言う。「もっと複雑であいまいである。エビデンスや数値ではすくい取れない真理もあるのだ」と。

「真理」とは、村上氏によると以下の3種類だそうだ。

「自然科学や社会科学の文脈からデータで導き出せる客観的な妥当性」

「一人ひとりの経験の中にある真実」

「人権のような理念。理念は数値化できるものではないが、普遍的な価値を持っている」


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