【小説】白い世界を見おろす深海魚 79章 (覚悟への理解)
【概要】
2000年代前半の都内での出来事。
広告代理店に勤める新卒2年目の安田は、不得意な営業で上司から叱られる毎日。一方で同期の塩崎はライター職として活躍していた。
長時間労働・業務過多・パワハラ・一部の社員のみの優遇に不満を持ちつつ、勤務を続ける2人はグレーゾーン(マルチ)ビジネスを展開する企業『キャスト・レオ』から広報誌を作成する依頼を高額で受けるが、塩崎は日々の激務が祟り心体の不調で退職を余儀なくされる。
そんな中、安田は後輩の恋人であるミユという女性から衰退した街の再活性化を目的としたNPO法人を紹介され、安価で業務を請け負うことを懇願される。
人を騙すことで収益を得る企業と社会貢献を目指すNPO法人。2つの組織を行き来していく過程で、安田はどちらも理不尽と欲望に満ちた社会に棲む自分勝手な人間で構成されていることに気づき始めていた。本当に純粋な心を社会に向かって表現できるアーティストのミユは、彼らの利己主義によって黙殺されてようとしている。
傍若無人の人々に囲まれ、自分の立ち位置を模索している安田。キャスト・レオの会員となっていた塩崎に失望感を抱いきつつ、彼らの悪事を探るため田中という偽名を使い、勧誘を目的としたセミナー会場へ侵入するが、不審に思ったメンバーによって、これ以上の詮索を止めるよう脅しを受ける。だが、恐怖よりも嫌悪感が勝っていた。安田は業務の傍ら悪事を公表するため、記事を作成し山吹出版に原稿を持ち込み、出版にこぎつける。大業を成し遂げた気分になっていた安田に塩崎から帰郷するという連絡がくる。
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79
「安田、ちょっと来い」
川田部長に呼ばれたのは、その日の営業報告を記入をしているときだった。タバコのニオイのする身体を近づけて、見下ろしてくる。
その顔は怒っているようには見えなかった。
だからといって、稀にみる上機嫌な様子でもなかった。ただ、微かに悲しみの影に覆われているような気がした。
「ハイ」と、返事をする前に川田部長は手を伸ばして、書きかけの営業報告書を取り上げた。背を向けて、奥のブースに向かって歩いていく。
きっと、キャスト・レオの原稿のことだ。
立ち上がったときに察知した。もし、書いた原稿が彼に知られたとしたら、ぼくはクビ……とまではいかないが自主退職を迫られるだろう。緑のカーペットが敷き詰められたオフィスの通路は、絞首台につながっている。
バレることを覚悟していたが、やはり息苦しくなる程の緊張を感じる。
ブースで仕切られた三畳ほどの部屋を入ると、川田部長は足を組んで椅子に座った。テーブルを挟んで設置された椅子に座るよう顎で指示する。
「失礼します」
脚が小刻みに震えていたが、思ったよりも大きい声が出た。
「おう、忙しいところ悪ぃな」
彼にしては珍しく部下を気づかう言葉だった。
「コレなんだけど」とファイルケースの中から、B5サイズの雑誌が出てきた。
やはり『アリシア 新年号』だった。サボテンが描かれた水彩画の表紙。ページの後半部分には黄色い付箋が突き刺さるように挟まっていた。
「書いたのは、お前か?」
ぼくは手に取り、付箋のページを開く。
見慣れてしまったタイトルが目に入ると顔を上げて、うなずいた。
「あぁ、そうか……」と、川田部長はメガネを外して目ヤニを取った。
「なんで書いた?」
なんで……そう訊かれると、どう言葉にしていい分からなかった。
「バカ野郎」
答える前に、川田部長は言い放った。だが叱りつけることよりも、目をこする作業に集中しているようだった。
「そういえば、お前はライター志望だったな……」と、独り言を漏らしてアリシアをめくる。
「コレを書いたってことは、それなりの覚悟ができているんだろう?」
メガネをテーブルの上に置いて顔を上げた。鋭い目つきを向けてくる。
「はい」
ぼくは唾を飲み込もうとしたが、口の中は乾いていた。喉の奥に痛みを感じる。
川田部長は、ため息をつく。
「キャスト・レオの担当者、青田だっけ? 明日、10時に謝罪に行くから他の用事をキャンセルしておけ」
「はい」
上司として、川田部長も謝罪訪問に同行してくれるのだろう。申し訳ない気持ちが芽生えてきた。でも、後悔の気持ちはない。ただ面倒なことになったな、と思った。
川田部長との話は、それだけだった。
つづく
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