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日台近代詩18選/冬つづく【日本語版】
明けましておめでとうさん、トキワです。1月は旧正月を迎えますが、年始の寒さは自然の甦りを思い浮かばせませんね。この正月の初めに、約100年前の日本と台湾の詩人が歌った18の「冬景色」をご紹介いたします。
この記事は日本読者向けにまとめられており、後ほど華日対照の翻訳を掲載する予定です。台湾読者の皆さんお待ちください。
この記事に収録されている詩人13名は生年順に並びます。これにより、世間にはあまり知られていない詩人たちが注目される機会が増えることを期待していますね。
萩原朔太郎(1886年11月1日—1942年5月11日)
山村暮鳥(1884年1月10日—1924年12月8日)
三木露風(1889年6月23日—1964年12月29日)
日夏耿之介 (1890年2月22日—1971年6月13日)(※台灣著作權保護解除)
西條八十(1892年1月15日—1970年8月12日)(※台灣著作權保護解除)
八木重吉(1898年2月9日—1927年10月26日)
丸山薰(1899年6月8日—1974年10月21日)(※台灣著作權保護解除)
梶浦正之 (1903年5月20日—1966年12月12日)
楊雲萍(1906年10月17日—2000年8月6日)(※著作權保護存續)
林修二(1914年—1944年6月5日)
黑木謳子(?—?)
上忠司(?—?)
鈴木信治 (?—?)
〈冬の海の光を感ず〉萩原朔太郎
遠くに冬の海の光をかんずる日だ
さびしい大浪(おほなみ)の音おとをきいて心はなみだぐむ。
けふ沖の鳴戸を過ぎてゆく舟の乘手はたれなるか
その乘手等の黒き腕(かひな)に浪の乘りてかたむく
ひとり凍れる浪のしぶきを眺め
海岸の砂地に生える松の木の梢(こずゑ)を眺め
ここの日向(ひなた)に這(は)ひ出(い)づる蟲けらどもの感情さへ
あはれを求めて砂山の影に這ひ登るやうな寂しい日だ
遠くに冬の海の光をかんずる日だ
ああわたしの憂愁のたえざる日だ
かうかうと鳴るあの大きな浪の音をきけ
あの大きな浪のながれにむかつて
孤獨のなつかしい純銀の鈴をふり鳴らせよ
わたしの傷める肉と心。
底本:日本の詩歌14 萩原朔太郎(中公文庫/1975)
電子化文本來源:青空文庫
山村暮鳥
〈冬のはじめ〉
いのちをもとめ
いのちをたづねゆく心
祝福をほろぶるものに
のこされしざんげの沈默(しじま)
こほろぎにゆめの掟
枯れ草はのぞみをやかむ
さればぞ帶のとりかへす
たへがたきなげきの觸手
底本:Blog鬼火~日々の迷走
〈初冬の詩〉
そろそろ都會がうつくしくなる
そして人間の目が險しくなる
初冬
いまにお前の手は熱く
やがで火のやうになるのだ
底本:Blog鬼火~日々の迷走
〈雪の上の鐘〉三木露風
心の上に暮(く)れ方(がた)の
追憶(おもひで)の雪は靜にふりつもる。
單調にしてあぢきなく
柔らかに顫へつゝ。
埋(うづ)もる愁は下に眠りたり。
わが聲は閉ぢ、覆はれて、
燃ゆる墓標(ぼへう)に胸をおく。
されども響く鐘の音(ね)の美しさ、
晴れし涙の涼(すゞ)やかさ、
静に。靜に。うち搖(ゆ)らぐ。
わが心はうち夢む、
はてなくあゆみ行かんとぞ。
あゝ彼方(かなた)なる谷間の風
ゆるく幽(かすか)に我が胸をよびさます……
愁(うれひ)の銀の日は、
わが身に深くほゑめり。
かよわき雪の靑草よ、
あゝ靑草よ。汝(なれ)のごと慕ひいでん——
彼方(かなた)に。彼方に。手(て)も纖弱(かよわ)く。
底本:日本現代文學全集38 北原白秋.三木露風.日夏耿之介集(講談社/1963)(p.275)
〈白き雪の上の大反射〉日夏耿之介
いかめしきとゞろきと
鋭利なるその肯定と
あゝ笑み傾けし太陽の
白き雪の上の大反射よ
萬有(すべてもの) 銀に甦(よみがへ)り 上天靑く沈著す
何者かあり かく假裝せしめしぞ
愕ろきて自ら魂(たましひ)の秘奥(おくが)を訪へば
震慴して羞明せり
何處に混色ありや 廣く高く大傾斜面高唱す
喜悅(よろこび)に坐乘(のり)て
瞑目し散策すれば
最(いと)黑き物像の最(いと)小き銀色世界の存在よ
さらば純一鋭雋の爾 世界よ
臨終の心態(こゝろ)にてわれ爾を頌(ことほ)がむ
Ch.轉身
底本:日本現代詩大系5(河出書房新社/1974) (p.270)
〈雪の夜〉西條八十
紅(あか)いペンキで
鸚鵡(あうむ)をそめりや、
雪(ゆき)の降る夜(よ)の
窓(まど)からにげる。
何處(どこ)へゆくのか
真紅(まつか)な鸚鵡(あうむ)、
白(しろ)い野原を
ひよこ〳〵と。
峠(たうげ)三里(り)の
月(つき)あかり、
鸚鵡さすがに
疲(つか)れてねむりや、
あかいあの火(ひ)で
暖(あた)らうと、
山(やま)の近目(ちかめ)の獵人(かりうど)が
鐵炮(てつほ)も忘れて飛(と)んできた。
八木重吉
〈冬の夜〉
皆みんなが遊ぶような気持でつきあえたら
そいつが一番たのしかろうとおもえたのが気にいって
火鉢の灰を均ならしてみた
〈冬〉
ながいこと考えこんで
きれいに諦あきらめてしまって外へ出たら
夕方ちかい樺色かばいろの空が
つめたくはりつめた
雲の間あいだに見えてほんとにうれしかった
〈冬の野〉
死ぬことばかり考えているせいだろうか
枯れた茅かやのかげに
赤いようなものを見たとおもった
底本:青空文庫
〈冬〉丸山薰
ありくひが仮睡むでゐる硝子戸の前を離れると、夏に見たきりの熊の檻を憶ひ出すのでした。様子を窺ふと、北向きの鉄格子のむかふで、熊が掌でしきりに床の落葉を掻き寄せてゐました。掻いてはあと退去りし、あと退去つては掻き寄せながら、見てゐるまに、姿は少しづつ大きな麹を転ばすやうに、正面の窯形の穴の奥へ引つ込んで行くのでした。
噴水が巻タバコほどの高さに縮んで上つてをりました。
底本:日本の詩歌24 丸山薰 田中冬二 立原道造 田中克己 蔵原伸二郎(中公文庫/1975)
〈雪夜・地球の圓味を感ず〉梶浦正之
雪は降る
雪は降る
むらがる無数の蛾のやうに
ゆらりゆらりと雪は降る
するどい電車の軋りも消え 遠い犬の吠聲も聞えない鶏が卵を抱くやうにじつと小さい火鉢に蹲くまり ふかふかと煙草の花粉を輪に吹かす……
<私は待ちこがれてゐる>はりつめた夜空の空氣に影もなくやつて来るラジオの電波を 新刊の洋書をどつさり積んで はるかな港の光に近づく汽船の笛を
<私は想ひこがれてゐる>こちこちと徐ろに動くせこんどのやうに なつかしい記憶のぜんまいがもどる刻を 銀色の針を運ばせながら静かに眼伏せて物想ふ故郷の妹を
扉を開けて姿見鏡に向ふやうに 雪の夜の面に白い息を吹きかければ 星屑は碧い南京玉を鑲め五色にまたたく街の灯 遠く地平線の弧を描くところ 紺ぼかしの闇を斜めに翔りゆく鳥の一群
蒼白い大きな襟巻をつけて
地球は圓く胎児のやうに眠る
雪は降る
雪は降る
むらがる無数の蛾のやうに
ゆらりゆらりと雪は降る
Ch.湖心
底本:日本現代詩大系7(河出書房新社/1975)(p.354)
〈寒厨〉楊雲萍
寒厨に残肴をもとめ、
瓶に酒の些か殘(のこ)(貝𣳾)りて、わが心あはれなり。
妻よな悲しみそ、
古がひじりの安貧樂道を學び得ざるも、
せめて濁れる泉に手をひたすまじ。
窓をあけよ、
桂花の香り、水のごとく流れ来るにあらずや。
天轉(てんてん)じて、星斗かがやき、
妻よ、われ等が住家(すみか)を、
かの銀河が傍に移さん。
底本:《台湾詩集》(綠蔭書房/2003)(p. 563)
林修二
〈冬の日〉
孤獨のステツキをつきながら
灰色の退屈な柵をのり越える
冬枯れの野をあてなく徘徊すれば
野の歌がやさしかった
林立する鹿の角のような梢や
美しい冬の陽こぼれや
笹をわけて裏山にのぼれば
心地よく落葉が鳴り響いた
冬の空は蒼い
この日
初めて天の心を知つた
一九三七.一
〈十二月〉
感傷と夜。夜に聞く秋のトレモロ。
それは既に葬られた言葉でなくてはならない。
秋に死んでしまつた恋のムクロを静に愛撫する。
(譯註:根據底本p.562年譜紀載,〈十二月〉同他七首刊於1934年《風車詩誌》第三號。)
底本:《南瀛文學家 林修二集》(台南縣文化局/2000)
〈十二月の色彩〉黑木謳子
アスフアルトの鋪道に擬装したサンタクロースが充滿し、五色のチェープが街を流れると
街々は、人間と光彩の洪水と化す。
喫茶店の二階にコーヒーをのんでゐたわたしたちはしばしとなって
街に出た目的を忘却してしよう。
Ch.回轉する季節の色彩
底本:《台湾詩集》(綠蔭書房/2003)(p. 433)
〈冬來る〉上忠司
1
風呂のうす暗さに 蠟燭を灯し
トタン屋根を敵くしとしと雨の音を
浴槽に聴いてゐる 寒い冬の日
しとしと雨が降れば いつそう塞ざむ早い日の暮れ
2
なに想ふこともなし 水のやうに澄んでしづかに坐つて
冬来る日 朝の障子に机を据え
風が吹き過ぎるたびごとに はつきりと柿の葉の落音もする庭
冬日の照り 曇り 障子の暗い翳 明るい翳
Ch. 明けくれ
底本:《台湾詩集》(綠蔭書房/2003)(p.252)
〈飛躍のない風景〉鈴木信治
陰慘な十二月の向ふに
無爲を越えて
河が どろんと
凍死してしまつた。
鉛の空は
地平の果に痙攣し
鈍いろの
鐵橋の重さと
その倒影が
飛躍のない風景を
どつしりと抑へつける。
Ch.みすぼらしい鴉
底本:日本現代詩大系7(河出書房新社/1975)(p.354)
【おぼえがき】
ちなみに自分は黒木謳子氏のモダニズム詩がかなり気に入っている。 黒木さん(本名:高山正人)は、1937年に『台湾新文学』に精神的な問題や健康状態を記録した『冬日雑稿』を最後に発表した後、新聞や雑誌に出ることはなく、行方不明になってしまった。
非常に残念である……
拙訳《聖三稜玻璃》(山村暮鳥)と《月に開く窓》(高鍬侊佑)には、〈冬〉と〈雪の日の心〉2つの美しい冬の歌がある。ご興味のある方、ぜひご覧ください。