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〝いつも〟ありがとうございます 〜暮らしの中の魔法の言葉


何気ないやりとりで気分転換

気晴らし、気分転換が決してうまいとはいえない私。

私に限らず、HSP気質の人ってそういう人が多いと思う。

良きにつけ悪きにつけ、深く捉えて…
しっかりどっぷり浸かって、抜け出すまでかなり時間がかかる。

それでも最近は事あるごとに、新たな気分転換にチャレンジする気持ちはあって、普段こんなことはやってないな、というちょっとした非日常なことをあえて試している。

私は割と最近、都会暮らしになっていて、今の地域には馴染みがない。

そんな私がこのところやっているのは、店員さんとの何気ないやりとり。

と言っても本当に一言、二言。
宅配で荷物を届けてくれる人にもほんの一言。

以前は型通りの、ありがとうございます、ぐらいだったから、ちょっとした一言二言をプラスして交わすようになったのは私にとって大きな変化。

まだ日常な感じもないから、新鮮さそのものを楽しめているし、気がつけば、ちょっとした気分転換効果にもなっている。

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〝いつもありがとうございます〟に反応した理由

何気ないやり取りの効果に改めて気づいたのは、昨日重い荷物を運んで来てくれたとき。

宅配のお兄さんが、「いつもありがとうございます!」と言ったときだった。

地域担当が決まっているから、宅配を頼むたびに、この方はたまに持ってきてくれるな。

そう思っていた。

昨日も私は普通に、〝ありがとうございます。重いものをすみません。〟と言っただけだった(それでも、重いものを…と一言付けたつもりだった)。

それに対して、
「重いから気をつけてください。」と言いながら、荷物を慎重に下ろしてくれて、「いつもありがとうございます!」と笑顔で言って去っていった。

その言葉に確実に私の中の何かが反応した。

なんでそんなに反応しただろう?

反応した自分と向き合いたくなった。

〝いつも〟

この言葉をありがとうの前に加えるときは、その瞬間だけではなく、それ以前に自分と誰かとの間にあった時のことを覚えている必要がある。

そして、今回私が、たまに来てくれる宅配のお兄さん、と相手を認識できていたように、ただ覚えているだけではダメ。
覚えているということを言葉に変えて伝えよう、という気持ちと実際の行動がセットで必要になる。

〝いつも〟

このたった3文字をつけることにこんなにも見えない手間暇をかけてくれる…。

私はその時そう思った。それで、反応したようだった。
なんとも言えない気持ちになった。

たとえ宅配のお兄さんは、〝いつも…〟と言い慣れていて、商売柄、さほど意識せずに口から出る言葉だとしても、さすがに初めてに会う人に対して、いつもありがとうございます、とは言えない。

〝いつも〟をつけるときには、少なくとも、初めての人ではない、と判断する瞬間がある。

そういえば先週は、最近たまに買うようになったお惣菜屋さんのお姉さんからも、「いつもありがとうございます!」と言われた。

買い物3回目には、〝いつも〟とつけてくれていた。

その時も、もう覚えてくれているんだ、と、一見さんではない、程よいつながりを感じて嬉しくなった。

何気ないふれあいって大切

家族同士でも〝いつもありがとう〟と言葉にすることは大切。

それとは別に、家族のようなつながりが元々ない中での〝いつもありがとう〟には、どうやら別のパワーがあるようだ。

互いの日常の生活の風景の一員になっているよ、というメッセージが隠れているような気がする。

特に都会になればなるほど、人の往来も入れ替わりも激しくて、お互いいちいち覚えてられない。そんな感覚になりやすい。

都会暮らしになった私は、ひとりの人が目の前で対応してくれているのに、どこかでそれが当然だと思って過ごしていた。

〝いつも〟
この3文字をありがとうの前につけるだけ。

日々の都会暮らしの中では魔法のような言葉かもしれない。

特に、他人の感情を扱うような仕事でメンタル疲労を起こしやすい私にとっては、一気に肩の力が抜けるような、ホッと出来る言葉。

ほんの少しの直接のふれあいって、日々の暮らしで本当に大切なもの。
改めて気づいた。

早くコロナが完全終息して、何気ないふれあいがもっと増えるといいのに!

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