厭世的な自分に嫌気が差したから(後編)
過呼吸が怖くて、自分が住む町から出られない。
それではつまらないし、自分に嫌気が差すし、どうしても市外に出かける必要がある時(今回は歯科恐怖症専門外来がある病院)に不安に襲われるのがつらい。
とりあえずその病院がある町には、市内移動と同じような楽な気持ちで行きたい。
そのためには慣れるしかないので、10月3日夕方、勇気を出して行ってきました。
最寄りの駅まではタクシー。
この時点でアルプラゾラム0.4mgが効いています(服用後1時間以上経過)。
タクシーもその後の電車も不思議なほど落ち着いた気持ちでいられました。
家を出る前、電車に乗る前のトイレは忘れずに。
電車を待つ間は、数日前と同じように、背負っていた荷物を降ろして体を楽にし、背筋を伸ばしました。
不安な時は呼吸に意識を向けた方がいい、ゆっくり呼吸すること、吐くことに集中することと言われますが、私は呼吸よりも猫背にならないようにすることの方が合っています。
過呼吸が起きたことのある区間の電車に乗っている間は、周りの風景を見ていました、「こんな看板あったっけ?」と思いながら。
音楽を聴くのは苦手で、乗車前に買ったペットボトル(緑茶の濃い味)をちびちび口に含んでいました。
約15分で目的地の駅に付きましたが、特に何をするなど決めていなかったので、そこからモノレールに10分乗って、昔通っていた大学に数年ぶりに行ってみようと思いました。
少し緊張していたので、モノレールに行く前にまたトイレへ。
大学に行くのは卒業後2回目だと思います。
「昔と比べてスマホを持つ人が増えたなぁ。うかつに顔を動かすと、隣の人の画面が見えちゃうな」と思いながら、大学前の駅に到着。
学内、学外を久しぶりにゆっくり歩きました。
前回訪問時は割とすぐに帰った記憶があります。
学生時代のことを思い出したり、今もまだある書店に入ってみたり、当時から残っている店の少なさに思いを巡らせたり。
そしてモノレールに乗って、JRの駅方向へ。
この時点で不安度は徐々に高まっていました、帰宅ラッシュの時間ですし。
モノレールの駅のベンチに座って、背筋を伸ばして、息を整えて。
母親に「大学まで来た」とメールを打っていると、どういうわけか、涙ぐんでしまいました。
そうしたら不安が軽くなりました。
行きたいところがあったので、モノレールを途中で降り、エレベーターでいっしょになった母子に話しかけました。
赤ちゃんがベビーカーからエレベーターのボタンを一生懸命押そうとしていたので、「元気ですね」と声を掛けると、和やかな空気に。
しんどい時の私みたく、元気でない人、過呼吸一歩手前の人を見つけたら、自分にできることをしたいと、なぜかこの時思いました。
それは大騒ぎしないこと。
私はヘルプカードに「15分ほどで落ち着きます」と書いていますが、それをここぞという時に分かってもらえるようにしないとな。
そして認知が進んでいるヘルプカードを見る側の人たちが、そこに何が書かれているかまで気にしてくれたらいいな、と思います。
学生時代によく歩いていたエリアは昨年、大火に二度も見舞われたので、その復興具合を見て回りました。
昔からあった映画館は完全に焼け落ちてしまいましたが、今日現場を訪れると、再建に向けた工事が始まっているようでした。
ふらっとブックオフに寄り、『ありのままに、ひたむきに 不安な今を生きる』という古本を購入しました。
そうか、ただ電車に乗る練習をするのではなく、自分が好きな書店めぐりをすればいいのかと気づきました。
時計の針は19時前。
九州で二番目に大きな街の駅は混んでいるかと思いきや、帰りの電車は思ったより人が少なく、座れました。
アルプラゾラムを半錠追加して、効くまで待とうかとも思いましたが、大丈夫そうだったので、何も服用せずに帰路へ。
車掌さんがいることに少し安心しました、田舎ではワンマンになっていますから。
何事もなく家最寄りの駅に着いて、また母親と電話でいろいろ話しました。
「在宅の仕事のペース、落とすわ」と伝えたら、「自分の心が一番だから」と言われました。
仕事はそこそこ忙しいのですが、それを言い訳にして、電車に乗ることも含め、苦手なことに挑戦することを避け続けていました。
仕事のペースが落ちて、クライアントからの評価が落ちることを気にしている、ということもありますが。
「美味しいものを食べて、早く寝なさい」と言われましたが、「歯に違和感があると、この世の終わりみたいな気持ちになる。苦手な歯科に行かないといけない、苦手な電車に乗らないといけない、と思ってしまう」と返しました。
すると「それでも栄養のつくもの食べないとね。急に痛くなったら病院に電話する、しかないんじゃない。何度も言うけど、何かあったら付き添いに帰るし、こっちの方が病院あるからこっちに連れて行くから」と言われました。
そして「親からすると、楽しく生きてほしい」と言われました。
私は涙声で「そうだね」としか言えませんでした。
希死念慮はそうそう消えるものではないですし、気持ちの波もありますが、「自殺したいと思いながら、ただ生きている」自分が嫌になったのが、今日の最大の収穫かもしれません。
あぁ、やっぱり生きたいんだなって。
「自殺したい」って言う人に「やめて」と言えなかった、言いたくなかったのは、私がそう言ってほしくなかったから。
気分の浮き沈みはあるだろうけど、私は楽しく生きたいです。
しばらくはそのことだけを考えたいです。
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