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1064 贅沢に慣れてはいけない

こんにちは!
(一社)全日本ミニマリスト協会です。

【贅沢に慣れてはいけない】

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『贅沢さえも、ミニマルに』

よく言われるのは、
生活水準をあげてはいけないということ。

お金があるないに関わらず、
人は贅沢にすぐに慣れて、
いつのまにか生活水準が上がり、
その水準をなかなか下げることができないから苦労する。
もしくは破綻する。

これは昔から今の今まで言われていることです。

ミニマリズムを学ぶことで、
日々の贅沢もできるだけ抑えて、
《本当の贅沢》を感じるように自分を制御しています。

というのが、
僕の中で大切にしている心がけがあります。

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人は贅沢にすぐ慣れるという前提のもと、
例えば、普段から高級なお寿司をよく食べに行くとします。

最初こそ高級なお寿司はそれはそれは美味しく感じ、普段には経験できない時間や味で舌鼓、
優雅なひとときを過ごすことをヨシとするでしょう。

しかしこれでさえも慣れてくるもの。

高級なお寿司に通うことが当たり前になり普通になり、その味にも慣れて普通になる。


その味の良さが、普通になる。

そんなときに、たまたま実家に呼ばれて親がちょっと奮発。
お寿司をテイクアウトしてくれました。

そのお寿司は、よくあるチェーン店のお寿司。
高級なお寿司とは、もちろん味もクオリティも違います。

そんなお寿司を食べて、違和感を覚える。

『あれ?美味しくない』


そう感じた時点で、
僕はきっと寂しさを感じる人間だと自負しています。

というのが、
自分の幸せのハードルが上がりすぎて、美味しく食べることができなくなっているのです。

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この気持ち、きっと多くの人に伝わるはず。

もちろん親の優しさとか思いやりとかありがたみとかあるものの、味として美味しさを感じることができない。

この事実は、きっと変わりようがないのです。

そうなると、人間の心を持っているならばきっと親にも申し訳なく思うでしょう。

僕はお金を持ったとしても、
そうならないようにしたいと思っています。
ごくごくたまに食べる、身の丈に合わないご飯だからこそ美味しい。

これは何も食事だけに限らず、
もっと細かな小さな小さな日常に溢れています。

ビールがわかりやすいのではないでしょうか。
今まで第3のビールだったのに、いつの間にか生ビールになってたり。

タバコのニコチンの値が低かったのに、高いやつでないとダメになっていたり。

意識していない間に、少しずつ水準が高くなっているのです。
水準が高くなるとともに、お金もいつの間にか必要になり、その水準を保つために労働が増えたり、自分の時間を削る必要があるのです。
それほどに、水準が高いことに慣れてしまうリスクがあったり、また上がった水準を下げることを人はなかなかできないのです。

だからこそ、お金がかかるかからないに関わらず、《自分なりの幸せの定義》をしっかりと定め、できることならばそれはお金以外のことに求めたほうがよいのです。

むしろ、お金を使わないと得られない幸せなんて大したことがないし、長続きしません。
しかも、多くの場合はひとりよがりでつまらないものです。

そうではなくて、幸せの本質を掴み、自分なりの幸福を追求する。
それはきっと物を手に入れることでもなく、お金を使うことでもないことに気付けるはずです。

幸せは見つけるものでなくて、気付くことなのです。

贅沢に慣れてはいけません。
日常に贅沢と思えることが、実は溢れているのです。

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