”ベルばら「フェルゼン編」”とパリのフェルゼンの足跡を巡る
みなさん、こんにちは!
今日は、以前のブログで一度観てみたいと書いていた2013年に上演された
"ベルサイユのばら 「フェルゼン編」"をようやく配信で観ることが出来たので、その感想とフェルゼンゆかりの地パリをさらっとご紹介したいと思います。
さらっとと書いたのは、パリにおけるフェルゼンゆかりの地は、YouTubeでも紹介しているからです。
(ブログの一番下にYouTubeを貼っているので宜しければご覧ください)
以前のブログにも書いた通り、今年(ちょうど今ですね)、ベルサイユのばらの「フェルゼン編」が上演されると知り、ベルばらに「フェルゼン編」っていうのがあるんだ!と初めて知りました。
私は、それまで「フェルゼンとマリー・アントワネット編」と「オスカルとアンドレ編」しか知らなかったのです。
そして、なんと今から11年前に上演された「フェルゼン編」が配信されていることを知り、早速観てみました。
「フェルゼン編」でありながら、フェルゼンの登場場面は意外と少ない印象を受けました。
特に第2幕以降は、既にオスカルとアンドレは死んでいて、バスティーユ牢獄に出撃する直前の回想シーンが後半の半分くらいを占めていました。
この回想シーン(毒入りワイン事件~バスティーユで亡くなるまで)は、「オスカルとアンドレ編」にも全く同じシーンがあります。
マリー・アントワネットとの絡みもそんなに多くなくて(意外とメルシー伯と一緒の場面が多くてびっくり😲(原作ではフェルゼンとメルシー伯が一緒の場面ってないですよね)
やはり「フェルゼンとマリー・アントワネット編」のほうが彼女との絡みが多いのかもしれませんね。
コンシェルジェリーに収監され、処刑直前のマリー・アントワネットに、「助けに参りました!」とやって来るフェルゼン。
心の中で遅いわ!と思いつつ、史実ではコンシェルジェリーではなく、チュイルリー宮にマリー・アントワネットがいる時にフェルゼンは実際救出に行くわけです。
舞台でも「子供たちを残して行くことは出来ない」と言っていましたが、実際にチュイルリー宮でも子供たちを残して行けないとフェルゼンの救出を断ったようです。
この時は、ヴァレンヌ逃亡事件の後でしたし、フェルゼンも実際命がけで救出に行ったと思いますが、警護もかなり厳しくなっていたんでしょうね。
フェルゼンは、意外とパリのあちこちに出没していて、住んでいたのはマティニヨン通りとオートイユ。
あと、マリー・アントワネットの侍従だったゴグラの隠れ家に行ったり、暗号でマリー・アントワネットと手紙でやり取りするための薬品を薬局に買いに行ったり、ヴァレンヌ逃亡時の馬車をフェルゼンの恋人(と言われる)が住んでいるクリシー通りに受け取りに行ったり・・・。
ヴァレンヌ逃亡決行の日は、マリー・アントワネットをエシェル通りに待たせてあった馬車に乗せ、その後、パリのはずれにあるサン・マルタン門を無事通過し、国外を目指すのですが・・・その後は史実の通りですね。
ここには全て書ききれないので、お時間ある方はYouTubeをご覧になってくださいね。
そして!なんと「モンテ・クリスト伯」の舞台の配信も見つけてしまいました。こちらも観たい!
モンテ・クリスト伯の最新作が、今、フランスで上映中のようで、そちらもすんごく気になっているんです♡
The Count of Monte-Cristo : Official Trailer in 4K (youtube.com)
また、モンテ・クリスト伯についても後日紹介できたらと思っています。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。